悩み体質。体の形によって悩みは変わる?悩みの身体性。

エッセイ

悩みの多い体質というものがあって、私などはこれに当てはまる。

数年前に、古い精神医学の本を読んだ。

そこには、顔の骨格によってひとの気質を分類できると書いてあった。

精神活動も身体に依存する。そうであれば、悩みの種類もきっと身体の影響を受けるのだ。

悩みの身体性。

悩み体質という言葉を聞いたことがある。

もちろん、昔からそういう言葉があったわけではなく、医学用語が気楽に使われるようになったごく最近に造語されたんだろう。

しかし、便利のよい言葉だ。

悩み体質というと、中年になったらお腹のあたりに溜まっていく脂肪のような響きがある。

私なんかは、まさにこの悩み体質にあたる。

苦悩するというと、いかにも近代文学的で、何か孤高なものをイメージさせるが、私の場合、悩みとは、九割方生活上の細々としてことにあるので、けして高尚なわけでもないし、自慢にもならない。

数年前に、精神医学のふるい本で、顔の骨格と気質とを結びつけて論考したエッセイを読んだ。著者はドイツ人だったと思う。

もうだいぶ前のことで、正確な内容のことは忘れたが、これこれの形の顔は憂鬱症型の性格で、またこれこれの形の顔は分裂症型と、大きくふたつのパターンに分けられていた。

ちなみに私は、分裂症型であったように記憶している。

この本が書かれたのは、もう百年ほど前のことであるので、現代の常識から考えたら、はなはなだおかしなところもあるし、差別的な表現もあってとうてい受け入れられたものではないが、気質を体の骨格という物理的な面から判断しようとする試みは、私はおもしろいと思った。

気質、性格、あるいは精神というのも、身体には依存する。

健康なひとと、病気がちのひととでは、精神活動のありかたはやはり違いがでるし、体の大きいひとと、背の低いひととでは、私の印象論になるけれど、やはり気質に違いはあるようだ。

気持ちのもちように、身体性が大きく作用するのであるなら、悩みの多寡についても、また悩みの種類についても、体のフォルムが何かしらの影響を及ぼしているはすだ。

例えば、体の細いひとは、抽象的なことで悩み、ラグビー選手のように、骨格のしかりとしたひとは、生活上の現実的なことで悩む、だとか。これも印象論だけれど。

ちなみに、私は、中肉中背で、体のつくりは平均的だが、顔はごつごつして、目はくぼみ、眉もひとよりも太かったりするので、よくいえば個性的、わるくとったなら、ちょっと異様な顔立ちをしている。

ハンサムとお世辞でいってくれるひともあったりするが、それよりも迫力のある顔だ。目もむかしからかっと見開いている。

迫力のある顔というのが、悩みにもたぶん影響していて、生活の細々としたことに悩んでいても、それを誇大に解釈して、あらぬ空想に走ることがある。

例えば、ブログ記事にちょっと失敗しただけで、世界の破滅のように感じるときがある。

私は、悩み体質だが、さらにそこに名前をつけるとするならば、スポーツ型妄想体質となるだろう。

とかく、妄想にたいしては、反応が速く、スポーツ選手のようにアグレッシブなのだ。

昔、絵描きの友達がいた。彼も悩み体質だった。彼の場合、人間関係のかなり実際的なことで悩みが多かった。

抽象的なところは、あまりなく、自分の生活圏の半径五十メートルくらいのところに悩みの種がたくさんあるようだった。

彼は太っていた。顔のつくりも緩やかだ。

先の本でいうなら憂鬱症気質となるのだろうが、私が名前をつけるなら、沈滞型減塩しょうゆ気質となるだろう。

減塩しょうゆというのが特徴だ、悩みのことがら自体は薄いのだが、一度しみになったら取れない。

そういう意味で、苦しみは深い。

彼は苦悩のひとだった。悩みも取りようなのだが。

では、また!

コメント

タイトルとURLをコピーしました