三十代の体の変化。男性と女性のちょっとした違い。

エッセイ

三十代は体が大きく変化する。

しかし、男性と女性とではちょっとした気づきの違いはあるようだ。

例えば、しわ。女性は顔のしわを気にするが、男は自分の顔にいつしわができたなんか覚えていない。

同じ人間、男も女も共通して衰えていく。

ただ、意識しているところは差がある。

三十代、体の変化。女性の気づき。

ある女性作家が、三十代は体の変化が激しいとエッセイに書いていた。

それは思春期とくらべてもけして劣るものではないということだった。

十代のころはそれこそ努力をしようがしまいが、体は大きくなっていくし、太くなっていく。

それに合わせて、精神的にも不安定だ。

それが二十代になってひとまずの落ち着きを見せる。

ところが三十歳。これを境に、また体が変化しだす。

体のあちこちは少し鈍くなる。体力も落ちるし、集中力も減る。精神が不安定になるかどうかは個人差があるだろうが、それでも精神のありようは変わって行く。

三十代、それはある意味では思春期なのかもしれない。

体の変化とひとくちにいってもそれは男性と女性とではまた理屈も形も違ってくることだろう。

例えば、しわ。

先の作家は顔のしわについても書いていた。

初めて顔にしわができたのは二十代後半なのだそうだ。

女性は男に比べて鏡を見ている時間も多いので、そういうことに気が付きやすいのだろう。

私は三十代の男なのだけれど、自分の顔にしわがいつできたのかなんてまったく覚えていない。

それどころか、いまでも、自分の顔にしわがあるのかどうかもわからない。

顔が若いといいたのではなくて(おそらくしわくちゃなんだろうが)自分の顔をそんなにじろじろみないので、しわなんてあってないようなものなのだ。

男と女とでは、意識しているところも違うし、当然、体の変化について気が付くところも違う。

いや、意識が違うから体の変化も違う、いや、その逆か。

とかく、男性と女性とでは、体に関する感受性は違いがあるようだ。

男も女も歳を取ることでは違いはない。

喫茶店に入ると、体が変化していることに気が付くことがある。

喫茶店であんまりうるさい音楽が流れていたり聞きたくもないようなラジオが掛かっていたりすると、気が散ることが多くなった。

これは二十代のころにはなかったことだ。

私は小説を喫茶店で書くこともあるのだけれど、最近は音楽を聴くと筆が進まない。

うるさいといいたくなるときもある。

音に敏感になるといことは、集中力が下がっているのだ。

おそらくこれに男性と女性の違いななどないだろう。

集中力は、女性も歳とともに下がっていく。

昔、リハビリセンターにいたころ、三十代の女性スタッフが、三十まぢかになって集中力が下がったということをいった。

そのころ私は二十四歳で、自分があと五年もすれば体がそんなに変わるのかとはちょっと信じられなかったし、そのときは、相手が女性なので、女性は体が弱いからそういう変化も大きいのだろうと思っていた。

ところが私も三十二、三のときには音に敏感になって、作業に集中できなくなる。

人間というのはきっと、男性と女性の違いなど、自分たちが思うほど大した違いはないのかもしれない。

女性は油断していたら太るし、それは男も同じだ。三十歳を境に、痩せにくくなる。思春期に筋肉が付きやすくなるのと同じで、中年になると、脂肪がつきやすくなる。

そこに男と女の違いはない。

歳取れば、しわが増え、背中が曲がる。そしてどちらも死亡率は百パーセントだ。

何か差異があるとすればそれは、精神の持ちようかもしれない。

三十代の「老い」を受け入れやすいのはおそらく女性のほうだろう。

男は何かと理屈をつけてごまかしたり見ないようにしたりするものだが、その点、女性は現実的。

若さという「美」が失われると、もう返ってくることはない。

それを解放と受け取るひともいるようだ。

では、また!

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