似ているひとたち。[短い小説]

小説

真田晋平は、会社でひどい扱いを受けていた。

ある大きな会社のIT部門に彼は所属していたのだが、そこの部長になぜか疎まれて、雑用ばかりをさせられていた。

それこそ、コピー取りや、掃除、お茶くみ、そうでなければ、「座ってろ」といわれて、一日、無為にパソコンの画面を眺めて過ごす日もあった。

でも、彼は無能であるのではなかった。

誰もが知るような大学の工学部を主席に近い成績で出ていたし、一年間、アメリカの大学にまで留学している。

その大手の会社にも、向こうから声が掛かって入社したのだった。

しかし、その実、仕事らしい仕事は、さきに挙げたような雑用以外はさせてもらえなかった。

そればかりか、部長は彼の人格を否定するようなことまでもいうのだ。

彼は、縁のない眼鏡をハンカチで震えるような手つきで小刻みに拭きながら、「そんなんだから、童貞なんだよ」とみなが聞こえるようにいうのだった。

主任もいけすかない奴で、部長がそんな侮辱をいうたびに、ひくひく鼻を鳴らして笑うのだった。

主任は、口ひげを生やして、その端が白かった。もう五十に近かった。

こういう劣悪な環境に、真田はよく耐えた。一年間、苦行に耐えた。

しかし、彼もいい加減に、気持ちが病みそうになったので、その会社を辞めた。

辞めてどうするつもりもなかったが、半年は休憩の期間を設けて、そのうちに何かいいアイデアが思い浮かぶことを期待した。

休憩期間が、三か月も過ぎたころ、体がなまりだしたので、彼はアルバイトを探し始めた。

ちょうど、彼が学生時代働いていた予備校に空きがあったので、そこで、しばらくの間、講師をすることになった。

彼は、数学を受け持つことになった。

ところが、一日目で、すでに動揺が始まった。

そこの英語の講師が、辞めた会社の部長にそっくりだったのだ。

瓜二つといってよいくらいで、便所で話かけられたとき、彼は気を失いそうになった。

「いやね、要領よくやることだよ。生徒つっても、お客さんだ。のめり込まないことだね」

英語の講師はいやにやさしかった。声もそっくりだった。

しかし、偶然はそれで終わらなかった。

予備校で事務を担当している男が、先の会社の主任にそっくりだった。

髭を生やして、端が白くなっている。

彼は、真田が帰るときに「おつかれさまー」と愛想よくいうのだ。

彼は、自棄になってもう辞めてしまおうかと思ったが、持ち前の気丈さで、とにかく考えないように努力した。

偶然とは重なるものだ、そう彼は自分に言い聞かせた。

あるとき生徒のひとりがこういった。

「先生は誰かに似ていると思うんです。でも思い出せない」

真田は、彼の顔がいとこの健介に似ていることに気が付いた。

「健介?」

「は?」

しかし、その生徒は、怪訝な顔をして黙っただけだった。

真田はまわりの人間が誰かに思い当たるような気がしてきた。

そうなると、自分は誰なのか。

彼は数学を教えているはずだった。

でも、ホワイトボードの数式は、彼も知ることのない外国文字のように見えた。

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