エッセイ

同じような日が続くのは嫌?人間はルーティーンのなかでしか生活できない。

「毎日が同じような日」という表現は、悲観的な意味で使われることが多い。人間は飽きやすくて、自分が設定したルーティンにもすぐに嫌気がさす。でも、人間は一方で「はんぷくするもの」だ。災害でなどで、非日常がやってきても、ルーティーンを求める。ルーティーンが生活を作る。
エッセイ

伝統を重んじるこころ。システムだけでは人間は生きては行けない。

伝統という言葉はもう死後に近づいているのではないかと思う時がある。伝統を重んじるなど、効率を求めるひとからすると眉唾ものだろう。でも、人間はシステムだけでは生きて行けないのは、ニ十世紀に我々はすでに経験している。伝統がないところには精神もない。
小説

ベテラン作家の話。 [短い小説]

編集者の桑原は、ベテラン作家の田野瀬の原稿が大幅に遅れているため、その進捗をさぐるため、彼との打ち合わせに出向いた。酒を飲む予定で、その前に、喫茶店で待ち合わせをすることになった。田野瀬は早くに来ていた。彼は喫茶店にいる間、自分の不快感を話した。
エッセイ

中道を行く。色んな影響を受けて、結局は程よい方法を見つけた。

中道を行くというのが、人間にとってもっとも理想的な生き方なんだろう。私は、悟った人間ではもちろんないが、色んな影響を受けているうちに、意図せず、程よい方法を見つけた。影響されやすい人間はつらい。自信がないからそうなる。でも、心配しなくとも、自然にゆだねると、中道には近づくんだろう。
エッセイ

歴史は変わる。変化を受け入れることは、人間の持つ最大の能力。

歴史の本を見るまでもなく、ひとつの国が繁栄をいつまでも継続できないことは、常識的にみなが知っていることだ。しかし、そうはいわれても、変化というものに、ひとは恐怖する。一方、歴史は市民の図太さも伝えている。人間の最大の武器は順応。そのことに信頼してみても良いかもしれない。
エッセイ

作家の落ち着いた生活。規則正しい生活と作品との関係。

作家のなかには、意識的に、落ち着いた生活をしようと心がけるひとがる。そして、当然ながら、規則正しい生活は作品にも影響してくるものだ。相関関係がある。庄野潤三さんは、自覚的に、静かに生きようとした作家のひとりだ。彼の個性的な作品は、彼の生活の反映となっている。
エッセイ

書くことの喜び。書くことは音楽、その快感。

書くことにも快感はある。言葉には、音があるので、それが連続すると、メロディとなるのだ。役者は、三日やるとやめられなくなるというが、それは彼の体が音楽を刻んでいるから。小説を書くことも同じ。彼の体は楽器となっている。そして、音は脳を刺激してやめない。
エッセイ

優れた作家が後世に読まれるとも限らない。読まれる作家は俗なるもの。

優れた作家が死後も読まれるとは限らないのは、本屋に行けばよく分かるものだ。私はひところ中上健次をよく読んだ。彼はまぎれもなく優れた作家だ。けれど、現代では一部のファンを除いて誰も読まない。彼はあまりに文学に純粋でありすぎた。読者は分かりやすく譬えないものを嫌う。
エッセイ

日記の書き方。自分の日記を読んで思ったこと。作家の日記とともに。

日記には書き方というものはない。好きなように書いて行けばよい。でも、私は自分の日記を読み返してすっかり自信をなくした。遠藤周作は、日記の中で批評を試み、創作の構想を練っている。グレアム・グリーンは自分が見たものを書き留めている。良い日記とは外へ向かうようだ。
エッセイ

小さな幸せを大切にする。上を向くのではなく、下を見る。

日本人は小さな幸せを大切にするのだといわれる。ご飯を食べて幸せ、良い天気で幸せ、お風呂に入れて幸せ。ビジネス書にはそれと反対のことが書かれている。とかく、遠いところに目標を設定するように促している。でも、私は幸せは上にはなく、足元にたくさん転がっているようなものだと思う。