エッセイ

働けなくなったら、すること。「生きてりゃ、よいことも悪いこともあるさ」

働けなくなったとき、やはり色々と考えてしまうもので、それが気持ちを落ち込ませる原因になってしまう。あまり落ち込むと生きる気力も失うこともあるので、そうなる前に、何か小さなことでも始めるのが良い。悪いことのなかにもよいことは作っていける。
エッセイ

瞑想によって変わったこと。否定もしなければ肯定もしない。

瞑想によって多くのことが変わった。私は子供のころから空想が好きで、四六時中何かを思い描いて過ごしていたのだが、瞑想を始めてから、空想に対する執着は減った。瞑想と言っても大層なことはしない。いまある自分に集中するだけで、否定もしなければ肯定もしないのだ。
エッセイ

考えることは孤独を奪う。時間の共有。

考えることは孤独を奪う。ひとりで何かを考えていても何かと時間を共有してしまっている。ギリシャ哲学を考えるひとはギリシャの賢人と同じ時間をともにいるわけだ。ものを考えると孤立感から逃れる。ものを考えずに、身体で受け止めるしか孤独は感じることはできない。
エッセイ

失敗への考え方、取り組み方。行動がすべてを変えて行く。

失敗への対処法というのは、そのタスクによって千差万別だろうが、根本的な考え方の面では、結局はひとつの方法に集約されるのではないかと思っている。取り組み方もひとつだ。結論はもう行動につきる。何かを行うと、考え方も変わる。失敗への感受性も変わる。何もしないのがリスク。
エッセイ

雨の日は嫌いじゃない。しとしとしと。気持ちを落ち着かせる。

雨の日が嫌いでなくなったのは、つい最近のことだ。それまでは、雨の日の不便さにばかり目が行っていたけど、いまは、その細かい変化にも気づくようになってきた。雨の音は、気分を落ち着かせるし、雨の景色もそれとして美しい。詩的。
エッセイ

私が結婚できない理由。収入がない、引きこもり、クリスチャン。

結婚できない理由は人それぞれだが、私には三つの原因がある。障害があってまだ自立していないために収入がないこと、引きこもりがちであること、クリスチャンであることがそうだ。でも、結婚も人生の選択のうちのひとつにすぎず、するしないによって格が決まるわけではない。
エッセイ

考えない練習。執着が減り、客観的になる。

考えない練習をすることによって、考えそのものに対する執着は減退する。考えなければならないという強迫観念も、考えてはいけないという思い込みも減っていく。考えそのものはなくなることはなく、ただ自分の考えていることに対する客観性が生まれる。
エッセイ

カフェインをやめてみた。コーヒーなどとの距離感の保ち方。[体験談]

カフェインを断つことはけっこう辛い。離脱症状は長く続くこともあり、不安になったり、だるくなったりして、日々の生活にも支障が出る。そのためゆっくりとカフェインを断つ生活をしていくほうが良い。何事そうだが急激にやると体の負担が大きくなる。
小説

病院の学者 [短い小説]

食堂で田野瀬は、桑原さんと隣り合って座った。桑原さんはいつも分厚い本を持ち歩いている。この日も、彼はその本を食堂のテーブルの上で開き、読み始める。本のタイトルは「東方キリスト教の歴史」というものだった。桑原さんは自分が神学者といっていた。やがて浅川さんも食堂に入って来る。
エッセイ

自分を「無」にする散歩。考えることをやめてみる。

散歩をすると自分が無くなっていく。歩きながら、考えることを手放す。そうするだけで、ずいぶんと、生活にメリハリがついてくるものだ。起伏の多い精神のありかたも平板になっていく。詩人とは考えないものだ。私は詩人になりたい。詩人が見たように景色がみたい。