オタクほど、個人主義的な人間もいないと思う。
もちろんひとにもよるだろうけれど、他人にかっこわるいだとか、意味不明だとかと揶揄されようが、自分の世界観を優先させるのが、オタクだ。他人の評価など二の次で良い。
独立独歩で生きるにはオタクになるのが手っ取り早い。
オタクは独立独歩。他人の評価は二の次。
オタクという言葉について、インターネットで調べてみると、次のようになる。
「おたくとは、サブカルチャーの愛好者を指す言葉で、1980年代に生まれたとされる日本独自の呼称。特にアニメや漫画、ゲームなどの趣味を持つ人たちを指すことが多いが、明確な定義があるわけではなく、「ファン」「マニア」と同義に使われることもある。オタクまたはヲタクとも表記される」
(フリー百科事典『ウィキペディア』)
ようするにファンであったらよいということだろう。
ちなみにサブカルチャーを辞書で引くと次のようになる。
「社会の正統的、伝統的な文化に対し、その社会に属するある特定の集団だけがもつ独特の文化。大衆文化・若者文化など。下位文化。サブカル]
(デジタル大辞泉)
もしサブカル愛好者だけをオタクというのであれば、AKBの追っかけや、ゲームマニアなどのように、一部の若者文化にだけ当てはまり、例えば歌舞伎に異様に詳いひとや、映画や演劇のウンチクをもつひとなどは、それに当たらないということになる。
しかし、今日では、歌舞伎だろうが映画だろうが、盆栽だろうが、何か愛好したものを持ち、豊富な知識を持つひとはオタクとみなされている。
広く取れば、大学教授もオタクとはならないか。研究分野にもよるだろうけど、大学の先生というのは、確かにオタクみたいなひとも多い。
最近、毎日のようにユーチューブを観ている。
私にもオタク気質があって、観る番組もだいたいオタクが運営しているものだ。よくチェックするものに、「純文学ユーチューバー」を名乗るひとのチャンネルがある。彼も、れっきとしたオタクで、自身、純文学への愛好はひとよりも深く、その知識もそのへんの文学ユーチューバーよりも豊富だといっている。
私は、自分もオタク気質だとは思っているが、友人知人にオタクがいるわけでもなく、実際にそういうひとと接したとこはなかったが、ユーチューブの面白いことは、毎日、同じチャンネルに触れることで、実際にその出演者と友達になれたような気がしてくることだ。
そういう意味で、かのユーチューバーは、私にとっての初めてのオタク友達だった。
彼はちょっとぽっちゃりしている、そして、丸顔で、こういっては失礼になるかもしれないが、オタクにぴったりな風采をしている。そのあたりも私には好ましい。本を集めるのが好きで、彼も動画のなかで「これは、読書チャンネルじゃないよ。本を買うひとの動画なんだよ」といっている。
オタクは、真っ向勝負をしない。実に細かいところを理論的にせめる。評論家のように、作品の大元を論じることもするけれど、それよりも「俺はこの人物が、スープを食う時に猫背になるところ」を論じたいと思うものだ。
つまり、他人からするとどうだっていいところに愛を感じるのがオタク、そして、オタクは他人の評価はともかく、二の次なのだ。
彼の本の集め方もそうなっている。文学を理解しようと思ったら、文学史にそって作品を読み継いでいくのが、効率が良いが、彼は新人賞作家の本に執心しているのだ。自分のことを「新人賞キラー」といっている。先の辞書ふうの解釈だと、彼はかなり「サブカル」的な人間なのだ。それでいて堂々としている。他人は他人、自分は自分と、そう徹底しているわけでもないようだけれど、多くのオタクにあるようにだいぶ個人主義だった。
オタクほど独立独歩で歩くひともいない。
では、また!
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