夜にぐだぐだ悩んでないも解決しないのに、朝起きてみると、自然に頭のなかが整理されていたという経験をしたことはないだろうか。
夜は抽象的にものを考えるので、思考が際限なくふくらんでいく傾向にある。そのくせ同じことを考えていたりする。
一方で朝の爽快感は論理性を育む。やっぱり朝活がいい。
朝になるとすべて解決している。
外山滋比古の「思考の整理法」というエッセイに「寝させる」という章がある。なかなか答えの出ないことを焦って考えてもしかたがない、たっぷり時間をかけてアイデアを「寝かせて」おけ、そういった内容だった。
なんでもイギリスには「一晩寝て考える」ということわざがあるようで、小説家のウォルター・スコットも「いや、くよくよすることはないさ、明日の朝七時には解決しているよ」といったそうだ。
もうだいぶ以前になるが、お笑い芸人の島田紳助がラブレターは夜に書くものではないといっていた。夜は、自分の主観的な世界に没頭しやすく、翌朝起きて、書いたラブレターを読むと「俺は頭がおかしいのではないか」と昨晩書いた手紙にがっかりするというのだ。
ラブレターを朝に書くべきかどうかは僕には分からないが、少なくとも何か物を考えるのには朝は最適だとは思う。
小説家でも最近は、朝に書く人が増えて来た。代表的な例を挙げると村上春樹がそうだ。村上さんは、小説を書く時、毎朝決まった時間に起きて、決まった枚数まできっちりと書くというのだ。
昔は、夜型の作家が多かったので、世間では作家は夜中に執筆して、みなが起き始める早朝に布団にはいるというイメージができていた。だから、村上さんが決まったルーティンで朝早くにものを書くというと、「そんな健康な生活をして、作家としてやってきけますか」と心配されたそうだ。
しかし、彼いわく、小説を書くことはスポーツと一緒で長く続けるには健康的なライフスタイルが必要とのこと。つまり、朝早くのルーティンほど小説家にとってプラスになることもないというのだ。
もちろん、朝の活動が効果的なのは小説家だけでない。最近は朝活というサークル活動が一部で流行している様子で、出勤前にカフェで集まり、読書会をするのだそうだ。仕事前のウォームアップにちょうどいい、と参加者は語っていた。
朝には特に知的作業に適している。夜に解けなかった問題も朝になってみると、滑稽なほど、簡単に解答できたりすることもある。
ようは寝ているあいだに、自然といろんな準備は整っているのだ。
朝型の生活も簡単ではない。
しかし、朝の活動が、いかに健康の面でも、仕事の効率の面でも有用であるといっても、それを習慣にするのは案外難しいものだ。
特に夜は思考が抽象的になりやすい。抽象的になると、考えが際限なくふくらんで、とうとう興奮して眠れなくなるということも起きる。
もちろん、これは健康の面からも良くないから、改善することにこしたことはないが、考えが膨らんでいるときに、考えをやめよといわれても、そう簡単にできるものではない。
考えるというのは、自分の意志でどうにかなることばかりではなく、よく言われるのが、考えているのではなく、色んな要因によって考えさせられている、ということも十分ありえる。
朝活はいい、でも、夜に考えることから解放されない、というときどうすべきか。
外山滋比古がエッセイのなかでこういっている、「努力すればどんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力しても、できないことがある。時間をかけるしか手はない」。
しごく当たり前で、まっとうなことしかいっていない。しかし、当たり前のことほど難しい。朝活というのも、当たり前のことをいかに積み上げていくかが鍵。
では、また!
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