中道を行く。色んな影響を受けて、結局は程よい方法を見つけた。

エッセイ

中道を行くというのが、人間にとってもっとも理想的な生き方なんだろう。

私は、悟った人間ではもちろんないが、色んな影響を受けているうちに、意図せず、程よい方法を見つけた。

影響されやすい人間はつらい。自信がないからそうなる。

でも、心配しなくとも、自然にゆだねると、中道には近づくんだろう。

色んな影響を受けて整えられる。

昔、野球選手で、インフルエンザで高熱が出ても試合に出ているひとがいた。連続出場日数とかいうもので、その選手は記録を更新し続けていた。あるいは、たとえ、熱で死にそうになっても、根性さえあれば結果も出せると、後輩の選手に熱意を伝えたかったのかもしれない。

二週間前から私は風邪をひいている。熱はあまりでなかったけれど、体がだるくてたまらない、咳も出てくるしい。

ブロガーのphaさんなら、こんなとき、「だるい」とそのままストレートに表現するんだろうな、と彼のTwitterを眺めながら、自分もそうできないことをもどかしく思った。

私はブログを始めたてのころ、phaさんのブログを参考に記事を書いていた。できるだけ、肩の力を抜いて、マイペースで自分のことを書いて行こうと考えていた。

やってみて分かるのだけれど、これがなかなか難しいのだ。先にあげた野球選手ほどではないけれど、私もけっこうストイックなところがあって、ちょっとくらいの病気なら、がんばって仕事をしてしまうことがある。「だるい」とつぶやいて、ともかく後先をあまり心配せず、ゆっくりと過ごすということができない。休むほど、頭は心配事、悩み事でいっぱいになってしまう。

phaさんは、「無職にも才能がいる」とブログに書いているけれど、そういう意味で私には、無職の才能がないようだ、何事も細かく計算する根性の小さい人間は、無職となると余計に小心翼々としてしまう。

ちなみに、私は無職である。ある身体的な事情があって勤めに出られない。

まあそれはともかく、無職でありながら、どこか中途半端にストイックであるというのが、私自身、自分の首を絞めつけている原因なのかもしれない。

世の中には、影響を受けやすいひとというのがいて、例えば、ヤクザ映画なんかを観たあと、歩き方が変わるひとがいる。だいぶおっさんになってもそういうひとはいるものだ。

実は、私もそのひとりで、さすがにヤクザ映画を観て歩き方までは変わらないけれど、読んだ本に影響されて、生き方を変えねばと強迫観念に駆られるときがある。

影響を受けやすいひとというのは、自分でものを考えないひとだといわれるが、そうとも言い切れないところがある。自分でものを考えても、自信がないひとは影響を受けやすい。

私がphaさんに憧れて、マイペースにブログを始めたのも、ストイックなひとに憧れて、病気でも頑張ってしまうのも、いってしまえば、自信がないからだろう。

でも、年齢を重ねるとは不思議なもので、影響されて、その方法で長く続けていれば、それがもっとも自分らしい振る舞いになってくる。

私の友人で、病気で働けないひとがいる。彼は十年くらい家に引きこもっていただけなのだけれど、あるときから、福祉作業所に行き出した。それからは見違えるようになって、かなりストイックな考えの持ち主となった。

彼の場合、誰かに影響をされたわけじゃないんだろうけど、確かに、作業所の雰囲気には多くの良い影響を受けていた。そして、作業所に通うことが習慣となって、性格にもずいぶんとハリが出ている。

私は、もう少し若いころ、福沢諭吉の自伝の影響で、寸暇を惜しんで、とにかく、四六時中、本を読んでいたが、いまは、phaさんの影響で、休むことも覚えて、程よいくらいになっている。

仏陀もあるとき中道を悟った。

人間は色んなことに影響されて自然に整えられて行くんだろうな。

では、また!

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