景色を楽しむために、自転車で遠出する。

エッセイ

毎日毎日、同じような日が続くと気が滅入ることがある。

そんな時は、いつもとは違う風景を、いつもとは違うスピードで楽しみたいと思う。

最近、自転車を買った。人間の物欲はすさまじいもので、とにかく買ったものは飽きるまで使い倒したい。

しかし、遠くに行けば行くほど、帰りも遠くなる。

見慣れない風景は楽しい

あんまり歩きすぎると、体より先に、頭のほうが疲れてしまう。毎日、決められた作業のように、公園を一週しているのだが、ときどき欲張って、遠出を試みることがある。

はじめのうち、見慣れない景色を楽しみ、空想にそれを重ね合わせたりして、ただ歩くだけで、他にかえがたい幸福感がある。

しかし、それも数時間も過ぎると、景色も目に入らなくなって、いつの間にか仕事のことや、そのほか瑣末な悩み事で頭がいっぱいになってしまう。

景色を楽しみにちょっとした旅行に出たはずが、頭はすでに日常へと帰ってしまっているのだ。

それと似たことは、やはり、自転車に乗っているときにも起こる。

私は、奈良の香芝市に住んでいるのだが、ひまができると、胸ポケットに入れたスマホでYouTubeを流し放しにして、遠くへ出かける。

香芝から明日香村へ、あるときは天理まで行くこともある。道は平坦だけれど、片道で三時間ほどかかり、なかなかの難事業だ。行きはまだ良い。

見慣れない風景を、自分の作った物語に合わせて楽しんでいる。

帰りはつらい。

しかし、帰り道はもう悩み事しか頭にない。仕事のことや、将来のことで悩んでいる間はまだ良いのだが、それも過ぎ去ると、これから家に帰って食事をし、片付けをし、風呂に入ることさえも面倒に思われて、いっそのこと、どこか近くのビジネスホテルで一泊しようかとも考える。

だが、ホテルを探すのも面倒で、実際に泊まるのか悩むのも面倒だ。それほど頭は疲れている。

結局は、家に着く頃には、頭はすっかりマヒ状態、ものを考える力はもうなくなって、悩み事も明日の予定もすっ飛んでしまい、かえってよい空虚感がある。

悟りとは、こういうことか。ただはっきりしていることは、もう二度と遠出はしたくないということだ。

体は正直なもので、辛いことはしたくないのだ。しかし、頭も体も回復してしまうとまたどこかへ出たい気持ちになって来る。

肉体疲労も、途中の悩み事も過ぎ去れば、それがどんなに過酷であったかも忘れてしまうのだ。自分が恐ろしい。

では、また!

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