中年になってからの勉強法。老若男女問わず勉強の必要性は高まっている。

black and white mud エッセイ
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三十を超えると、どうしても時間やその他のことを考えて勉強には及び腰になってしまう。

組織で働く場合、勉強も組織や労働市場の需要に合わせて戦略を練る必要がある。

一方、フリーランスの場合、学んだことで利益が得られるかどうかは、本人の考え方によるところも大きい。

三十代は何を学ぶか優先順位を決めるも重要。

何歳から学び始めるか、というのは、若い人だけでなく、中年になっても頭を悩ませる問題である。いや、時間が限られているという点では、若い人にはない悩みが中年にはある。

仮に、二十歳の学生が英語を学び始めるとして、マスターするまで五年かかったとしても、まだ二十五だ、そこから次なる勉強を探してみても遅くはない。

しかし、これが三十五歳だとちょっと考えものである。三十五歳というと、優秀なひとなら、会社でそれなりの役職にあるだろうし、そうなると、勉強するだけの時間的余裕もない。なにより、順調に勉強が開始できたとしても、例えば英語を一から勉強し直そうとすると、使えるレベルになるまでにだいたい五年はかかる、となると、やっとこさ、一人前の英語ユーザーになれたころにはもう四十歳である。四十といえばいろいろ引き算して物事を考えなければならない年代で、苦労して英語ができるようになったからといって、キャリアにプラスになるとは限らない。

もと外交官で作家の佐藤優氏も、三十も半ばを過ぎたら、語学をやるかやらないかは慎重に考えた方が良いといっている。

とかく、勉強というのは、ほんとうに身になるものは時間がかかるものだ。時間がかかるということは、他の時間を犠牲にしなければならない、飲みに行く時間や友人と遊ぶ時間ならまだしも、三十代後半でもいろいろと学習しなければならないことは多いわけで、その時間を削って英語なり資格の勉強にあてるのはキャリアとしてどうなの?ということだ。

要は、勉強すべきものを狭めていくのが、中年の勉強法だ、あれもこれもと欲張っては身がもたないし、そうなると、単に「海外へのあこがれがあるから」という理由で英語に飛びつくこともできなくなってくる。

ようは費用対効果である。

フリーランスは学んだことを自分で活かせる。

 一方で、僕が以上述べた考えというのは、あくまで、組織で働くひとに特に当てはまることだろう。例えば、フリーランスで何かしら活動している人にとっては「勉強」もまた、観点が違ってくる。例えばライターをやっていたとしよう。三十代後半で、日本語で文章を書いていたとする。この場合英語をやるかやらないかは、また会社勤めのひとのキャリア戦略とはだいぶ異なるのだ。

会社勤めは当然だけれど、組織の意向に合わせて、あるいは労働市場の需要に適応させて勉強も戦略を練っていく必要がある、一方フリーランスの場合、勉強が利益を生むかどうかは結構その本人の裁量にかかわることだ。

三十代で英語を勉強し四十歳でやっと使えるレベルになっても全然遅くはない。むしろ、フリーランスの場合、環境の変化の激しさに着いて行くために、長期視点の勉強、自己投資もかなりアグレッシブに考え実行していく必要がある。

例えば、ChatGPTの登場で、ライターの働き方がだいぶ変わってきている。それまでも優秀なひとなら、ただ受注の仕事だけをしていても、食えるだけは充分に稼げたが、AIが記事を書くようになって、将来的にはそのスタイルで生きて行くだけ十分の収入が得られるかどうか分からなくなってきている。

だから、仕事を受注するだけでなく、自分自身でもコンテンツを作り発信していかなくてはならない。しかし、海外のYouTube等を見てつくづく思うのは、発信活動には並々ならぬ教養が必要だ、ということだ。

つまり、勉強をいつ始めるか、どの程度必要かは、老若男女で差はなくなってきている。

仮に、四十歳で英語で発信活動を初めても全然遅くはなくし、それで収益を得ているひとは海外ならいくらでもいる。それまでの正しいとされた学び方がこれからはどんどん通用しなくなってくるので、柔軟にかつアグレッシブに勉強にとりく必要がある。その場合、四十を超えて英語なんて遅いよな、というような発想も変えていかなくてはならない。

では、また!

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