将来のことで不安になったときの対処法。

エッセイ

将来のことを考えると、不安になるひとは多い。お金が相当あるひとでも、身の回りのリスクを考えるとやはり不安になるようだ。

不安の原因は考えることにある。だから、考えなければいいだけの話だが、これが難しい。

気持ちに余白をつくる。そこから始める。

孤立しない。孤立してしまったら、気持ちに「余白」を持つ。

思い煩うという言葉がある。辞書を引いてみると次のような解説が載っている。

「あれこれ考えて悩む」

実にシンプルだ。それしか解説は載っていなかった。辞書というのはどこの国のものでもたいていは、その文字が指し示す意味しか記載していない。それはそうだ、辞書とはそういうものだ。この「思い煩う」の場合、その原因となるものについて、解説はいっさいない。そういうことについては他の本を当たってくれということなのだろう。

先日、一冊の本を読み終えた。「持たない幸福論」。著者はエッセイストでインターネットでも活躍されているphaさんだ。phaさんは有名な方なので、解説はいらないと思うが、一応のべておくと、彼は、活動の初期「日本一のニート」として知られた。もっともニートといっても親に寄生しているのではなく、シェアハウスを運営したり、ブログを書いてアルバイトをするなどして、当初から自立して生活をされていた。彼もニートとばかり呼ばれるのはあまり好まない様子だ。

彼はこの本のなかでぼそっと「先のことはあまり不安にならない」というようなことをいっていた。確か他の本でも同じようなことをおっしゃっていた。先のことを心配しない、というのは、生活を軽くさせるカギとなるものだ。

「思い煩い」の意味は「あれこれ考えて悩む」ということで、あれこれとは、たいていのひとにとって先々のことだ。将来に不安だから悩む。ということは、不安を感じたくなければ、先々のことを考えなければいいだけの話だ。しかし、これが分かっていてもなかなかできないものだ。

phaさんは、先のことはあまり不安にならないといっていたが、それは彼に有り余るだけの金があったからではない。この本が書かれたころ、彼はネットで少し文章を書いたり、シェアハウスの運営ではいる収入で、なんとか生活していた(本にそんなことが書かれてあった)。勤め人ではないので、定期的に入るお金もなく不安定。それであるのに、先々のことを考えない、というのは、もう才能というしかない。

あるいは、彼には仲間が多いので、それが気持ちを深刻にさせない要因だったのかもしれない。彼もこの本のなかで「孤立はよくない」といっている。ニートでも孤立するひとほど、深刻な考えに陥りやすくなる。

先々の心配のことで、聖書に格言がある。

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日、その日に十分あります」(新改訳聖書、マタイ6章34節) 必要なものは神がすべて与えるのだから、あなたは自分のすべきことだけをしなさい、ということだが、実はこれは信者にとってもっとも難しいことだ。

ひとは生活の運営のために色々と計算をする。計算をすると、あれもこれもと勘定に入れる。それが不安を生む。

しかし、ちょっと物事を棚上げすることくらいは案外できるもので、「何とかなるわな」と余白をもつだけでけっこう楽になるものだ。孤立しないほうがいいに決まっている、しかし、孤立してしまったとき、実は、この余白があるかないかで振る舞い方が違ってくるのだ。

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