カラスの笑う島 [短い小説]

小説

妻が東京に帰りたいといいだしたのは、島に来て一週間目のことだった。

田舎に住みたいと始めにいったのは彼女だった。

何度かの下見をすませ、住まいもわりとひろい公営の団地が、便利の良いところにすぐに見つかった。幸先は良いように思われたのに、それが一週間もしないうちに、彼女は音を上げはじめたのだ。

ホームシックだから時間が来れば解決すると、私はいったが、彼女は目を真っ赤にして「そんなんじゃない」と叫んだ。

ホームシックもひとによっては、深刻なものだ、あまり軽く見てはいけないと聞いていたので、私は、彼女を単身、東京の実家のほうへ、しばらく帰すことにした。

それでも、彼女はいうのだ「もうこんなところへは二度と来たくない、あなたは私が死んでもいいの?」私はもう彼女の状態がただ事ではないと思ったので、島での生活を切り上げようと、考えを改めた。

けれど、まだ来て、一週間だ。私は未練でいっぱいだった。海は穏やかで、晴れている日は、はるか向こうまで青かった。山があり、季節に合わせてふもとでは、催しが施される。田舎の島といっても本土とは太い道路で繋がっているし、交通も発達している。総合病院もあるし、図書館だってある。もちろんちゃんとインターネットもつながるので、仕事にも困らない。

それを全部置いて、また東京の生活に帰るのだ。

ひと通り、引き上げる段取りを決めてから、私はひと息つくために、スーパーに買い物に出ることにした。

妻は、行かないで、と私にすがったが、晩飯のためには何か買わなければならなかった。

この日も、晴れて、冬にしては暖かかった。

スーパーに行く途中で図書館に寄った。戸口で、声を掛けてくるものがあった。見た顔だが、名前は思い出せない。向こうの方から、役場の瀬見です、と名乗った。

「島にはなれましたか」

瀬見は、不自然なほど、笑みを顔に浮かべていた。湾曲した唇からは、歯茎が見えていた。

「いや、まだ来てから一週間なんでね、分らないことがたくさんですよ」

「どういうことが分りませんか」

その質問も、彼の笑みと同じで不自然だった。

急に、図書館の奥の方で、笑い声が聞こえた。カラスが鳴くような甲高い声で、呆けたように息の長いものだった。すると、その笑いに答えるように、瀬見も笑い始めるのだ。彼もカラスのように声が高かった。

「ちょっと用事があるので」

私は、図書館には入らずに、自転車を力いっぱいこいでスーパーに向かった。

スーパーでも戸口で話かけられた。店員だった。ボンタンはどうかと薦めてくるのだ。私はいらないといったが、彼女は何がおかしいのか、あの甲高い声で笑うのだ。それに合わせて店内のあちらこちらで、カラスの笑い声がした。

私は、買い物もせずに、自転車で来た道を全速力で戻った。海も山も目に入らなかった。目の前に伸びる道が、異様に長いように感じられ、私は焦った。

家に着くころには、冬にも関わらず、私は汗でびっしょりだった。

鍵を開け家に入ると、すぐに声が聞こえた。カラスの笑う声だった。妻がこちらを見て笑っていた。

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