エッセイ

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失敗は成功のもと。しかし、失敗を事前に予測しておくことも大切。

失敗は成功のもととはよく言われることだ。しかし、案外そういうことは何かチャレンジしている時、しようとしている時には、忘れがちなことだ。何かに取り組む前にどのようなリスクがあり、どんな失敗が予想されるかはある程度見積もっておく必要もある。
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庄野潤三に学ぶメディテーション。

マインドフルネスのメディテーションをしていると、ついついいろいろな目的意識、意図をもってそのエクササイズに挑んでしまう。庄野潤三は、瞑想家ではないし、宗教的なことはいっさい言及しなかったひとだが、彼の小説の日常描写には禅の軽妙さを僕はそこに重ねてしまう。
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日本文化を英語で表現するということ。

日本文化はかつてないほど海外で注目されているが、日本文化を深く理解し、かつ英語のコンテキストでちゃんと表現できる人はまだまだ少ない。しかし、反対に言うと、英語×日本文化教養を身につけたなら、ひくてあまたということ。
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宗教の原理主義、包括主義、多元主義。異なる他者をどう受け入れるべきか。

トマス・マートンに見る、他宗教の受容 神学者ローレンス・カニンガムが、トマス・マートンについて言及している。 マートンは晩年、東洋への関心を深め、特に仏教に対して造詣が深かった。 しかし、もともと、キリスト教とは排他的な宗教だ。救いにおいて...
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「忘れる」ことと、マインドフルネス。

受験勉強の弊害か、「忘れる」ことを恐れるひとは多い。しかし、僕らは勉強したすべてを記憶しているのではなく、忘れるから新しいことを覚える。だから、忘れることにもっと肯定的にならなければ。マインドフルネスは忘れることにある。呼吸を観るとき、ほかのことは忘れている。つまり忘れる練習をしている。
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自炊でマインドフルネス。外食をやめることで頭がよくなる。

自炊も瞑想にすることができる。あるマインドフルネスの本によると、瞑想とは、座ってじっとしている時だけに限らないという。歯を磨くのも、アイロンをかけるのも瞑想となる。当然、自分で食事を作ることも瞑想になる。なんでも頭によいことは健康なことだ。頭が良くなりたければ自炊することに限る。
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アメリカ人の書く自己啓発書はとても知的であり格差の象徴。

アメリカでは富の格差がここ十年くらい大きな問題になっているが、それは同時に教育の格差、知的格差でもある。アメリカの自己啓発書は学者や学歴の高いジャーナリストなどが書いたものばかりで、非常に知的レベルが高い。本を読む文化自体が高級であることが透けて見える。アメリカの自己啓発書はもう教育・知的格差の象徴となっている。
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トマス・アクィナスの理性の探求。

トマス・アクィナスは理性を探求した哲学者、神学者だといわれている。トマスは理性によって、世界のすべて、神になんであるかを理解できると考えた、とはよくいわれることだが、そんなことはまったくない。彼の「神学大全」のごく始めのほうで、彼の理性の限界を述べている。彼の理性の考え方は非常に複合的だ。
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マインドフルネスとは、集中すること。「瞑想」集中している時間にしかない。

悪い瞑想、良い瞑想という区分けはマインドフルネスには存在しない。集中しているときだけが瞑想であり、そうでないときは瞑想とは呼べない。人間は物事を言葉によって分類し、区分けして来た。しかし、何か作業に集中しているとき、言葉による限界を超えることができる。
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不安な時は瞑想をする。不安の原因と対処法。

不安にも色々とその原因がある。内的要因、外的な環境要因、そしてそれらが組み合わさって問題をより複雑にさせている。不安自体は悪いものではない。過剰な不安が問題なのだ。では、その過剰な不安をどう克服するか。歩きながら瞑想するのがいい。ちょっとの時間でできるし、無理もない。