エッセイ

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私が結婚できない理由。収入がない、引きこもり、クリスチャン。

結婚できない理由は人それぞれだが、私には三つの原因がある。障害があってまだ自立していないために収入がないこと、引きこもりがちであること、クリスチャンであることがそうだ。でも、結婚も人生の選択のうちのひとつにすぎず、するしないによって格が決まるわけではない。
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考えない練習。執着が減り、客観的になる。

考えない練習をすることによって、考えそのものに対する執着は減退する。考えなければならないという強迫観念も、考えてはいけないという思い込みも減っていく。考えそのものはなくなることはなく、ただ自分の考えていることに対する客観性が生まれる。
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カフェインをやめてみた。コーヒーなどとの距離感の保ち方。[体験談]

カフェインを断つことはけっこう辛い。離脱症状は長く続くこともあり、不安になったり、だるくなったりして、日々の生活にも支障が出る。そのためゆっくりとカフェインを断つ生活をしていくほうが良い。何事そうだが急激にやると体の負担が大きくなる。
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自分を「無」にする散歩。考えることをやめてみる。

散歩をすると自分が無くなっていく。歩きながら、考えることを手放す。そうするだけで、ずいぶんと、生活にメリハリがついてくるものだ。起伏の多い精神のありかたも平板になっていく。詩人とは考えないものだ。私は詩人になりたい。詩人が見たように景色がみたい。
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作家と専門性。乱読でなくひとりの作家に集中すること。

作家として長く活動していくには、専門性はあったほうが良い。やたらめったら乱読しては精神を荒廃させると言った作家もいた。誰かひとりの作家と決めて、その作家とながく作品の世界観を共有すること。それが教養となり生きる糧になる。
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小説を書くのに必要なのは、連想力。

小説を書くには、ある場面から次の場面を生む連想力がなくてはならない。連想をすることは誰でも意識せずに行っているもので、特殊な能力というものではない。連想力を鍛えるには、普段から注意深くものを感じ、思考のペースを落とす必要がある。
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芸術家は計算しない。スマホを置いて、自然に近づくこと。

芸術家は計算しない、とはリルケの言葉。私も文学をやっているのだけれど、計算ばかりしている自分が嫌になることがある。計算は、インターネットを使うことによって増えた。ひととの無益な関り。しかし、芸術をやるには泰然とているのがいい。スマホを置いて自然に向き合うこと。
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文字コンテンツは、オタク向けに作ること。

文字コンテンツはもう大衆受けするものではなくて、オタクが読むものになった。昭和のように本が娯楽であった時代はもう訪れない。本を多く売るという発想から抜け出す必要がある。大衆ではなく、濃い読者、オタクにン向けてコンテンツを作ること。
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芸術家の孤独。孤独は芸術の親、それに信頼する。

芸術家はみな孤独だといわれている。詩人のリルケは、若い詩人へのアドヴァイスとして、孤独になるようにすすめた。自分を誰かと比べるのをやめよというのだ。これはシンプルだが難しい。たいていのひとにはできない。しかし、孤独というのは芸術家の親、こちらが信頼すれば応えてくれる。
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自己顕示欲は必要ない? もの書きのスタンス。

自己顕示欲は、書くための根本的な欲求にならないないと私は思う。誰でも、何かを表現したら、それを評価してもらいたいし、それに満足をしたい。しかし、作家というのは、自分を表現するのではなく、自分が見た世界を表現するのが仕事だ。そして、世界を見ればそれを描写したくなる。