エッセイ

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作家はなぜ太ってしまうのか。作品制作以外は、億劫?

作家で、太っているひとは珍しくない。それは、単に中年太りというだけでもないようだ。小説家というのは、作品制作に没頭しだすと、それ以外は考えたくなくなる。あるひとは、自分の健康のことも後回しになる。運動をするのだって億劫なのだ。だから、痩せない。
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マジメなひとの人生観。「苦しみも祝祭」

マジメなひとにも当然、生き方への意見というものがある。人生観。マジメなものは苦しいのです、とはリルケの言葉。私もひとに呆れられるほどのマジメ人間だが、やはり苦悩は多い。しかし、マジメとは彼岸に繋がる能力のことだ。あちらの世界に繋がると、苦しみも祝祭になる。
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やけくそになる気性は文章を書けば改善するよね。自分を対象化する方法。

やけくそになってしまうときがある。私も長年この気性に悩まされてきた。でも、それは文章を書くと改善された。言葉というのは社会的なツールだ。みなの共通の理解がそこにある。言葉を知るというのは自己の社会化、客観化。客観的なところにやけくそなんてないよね。
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三十代の体の変化。男性と女性のちょっとした違い。

三十代は体が大きく変化する。しかし、男性と女性とではちょっとした気づきの違いはあるようだ。例えば、しわ。女性は顔のしわを気にするが、男は自分の顔にいつしわができたなんか覚えていない。同じ人間、男も女も共通して衰えていく。ただ、意識しているところは差がある。
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文章のリズムはパソコンよりも手書きの方が掴みやすい。

文章を書くにもリズムというのがある。小説を書く時これを掴むと作品に没頭しやすくなる。パソコンよりも手書きのほうがリズムは掴みやすい。手書きは間違いを訂正しずらいので良い緊張感がある。また視野が狭いので構成に気を取られずに、文章のリズムに乗りやすい。
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働けなくなったら、すること。「生きてりゃ、よいことも悪いこともあるさ」

働けなくなったとき、やはり色々と考えてしまうもので、それが気持ちを落ち込ませる原因になってしまう。あまり落ち込むと生きる気力も失うこともあるので、そうなる前に、何か小さなことでも始めるのが良い。悪いことのなかにもよいことは作っていける。
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瞑想によって変わったこと。否定もしなければ肯定もしない。

瞑想によって多くのことが変わった。私は子供のころから空想が好きで、四六時中何かを思い描いて過ごしていたのだが、瞑想を始めてから、空想に対する執着は減った。瞑想と言っても大層なことはしない。いまある自分に集中するだけで、否定もしなければ肯定もしないのだ。
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考えることは孤独を奪う。時間の共有。

考えることは孤独を奪う。ひとりで何かを考えていても何かと時間を共有してしまっている。ギリシャ哲学を考えるひとはギリシャの賢人と同じ時間をともにいるわけだ。ものを考えると孤立感から逃れる。ものを考えずに、身体で受け止めるしか孤独は感じることはできない。
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失敗への考え方、取り組み方。行動がすべてを変えて行く。

失敗への対処法というのは、そのタスクによって千差万別だろうが、根本的な考え方の面では、結局はひとつの方法に集約されるのではないかと思っている。取り組み方もひとつだ。結論はもう行動につきる。何かを行うと、考え方も変わる。失敗への感受性も変わる。何もしないのがリスク。
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雨の日は嫌いじゃない。しとしとしと。気持ちを落ち着かせる。

雨の日が嫌いでなくなったのは、つい最近のことだ。それまでは、雨の日の不便さにばかり目が行っていたけど、いまは、その細かい変化にも気づくようになってきた。雨の音は、気分を落ち着かせるし、雨の景色もそれとして美しい。詩的。