エッセイ

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宗教はメンタルヘルスに効果的か?

宗教はメンタルヘルスに効果的だろうか?宗教はマインドフルネスではない。マインドフルネスは健康を維持することを目的としているが、宗教にはそうした目的はない。時には宗教の訓練は非常に「不健康」でもある。しかし、信仰は最後の砦となるもので、こころの支えとなるもの。それはもちろんメンタルの状態に影響する。
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「スマホ脳」の脱却の仕方。

「スマホ脳」という本が流行った。そのなかで、著者は我々人間の脳は狩猟採集に適したようにできていて、新奇なものにつねに惹かれるというのだ。新しいものに惹かれというのは、また、ネット社会では非常なリスクとなる。ソーシャルメディアは我々の注意をいかに引くかに戦略を費やしている。僕らはそれにどう向き合うか。
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英語で海外に向けて発信した感想。

英語でユーチューブを始めたが、僕なりで手ごたえを感じている。もともとアウトプット(ライティング)をしていたものだから、スピーキングもすぐに伸びた。チャンネルの伸びは鈍化している。しかし固定ファンはつくようになった。動画のリンクもブロブ下のほうに貼っています。
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phaさんの「パーティが終わって中年が始まる」の感想。

phaさんも中年になった。 phaさんの新刊が書店に平積みになっていた。「パーティが終わって中年が始まる」というタイトルで、彼ももう四十半ばとなり、昔のようにネットをふくめ、世の中の動きに反応できなくなってきていることを吐露している。 ぼく...
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お金との上手な付き合い方。

金はないよりはあるにこしたことはない。しかし、それは本当だろうか。人間の苦しみは執着に比例するようだ。金はその性質から、これ以上不安定な存在もない。しかし、ひとはそこに安定を求めて執着する。金に頼って楽を得るより、金がなくとも満足であるほうが、幸福であるはずだがそんなことは可能なのか?
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性にストイックになると、メディテーションになる。

人間の三大欲求のひとつといわる性欲と真剣に向き合うということは、それ自体ストイックとなる。ひとによっては、食欲や睡眠欲に比べて、性欲の抑制にかなり困難さを感じることだろう。しかし、性欲を観察することも習慣化すれば喜びに変わってくる。メディテーションの一環として性に向き合うとより多様な自分を発見できる。
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自由意志から考えるキリスト教の世界観。

キリスト教神学の重要な柱に、自由意志というものがある。人間は主体的に、善と悪を選ぶことができ、信仰を選び取れると考えられているものだ。しかし、神学において、「自由」な意志とはもっと複雑で、矛盾をもはらむもの。科学的な考察の仕方では説明できないことが基礎となっている。
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自分のアイデンティティなんて探さなくていい。

「自分らしさ」や「本当の自分」といったものをアイデンティティと呼んだりするが、果たして自分がそう思う、あるいはそう思いたい自分というのは実際に存在するのか。記憶というのはあいまいなものだ。過去を振り返っても友人と認識がまったく食い違っていたということもよくある。不完全な記憶に基づいた「アイデンティティ」というのもやはり不完全でもろいもの。
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困難さをメディテーションする。

「渡る世間は鬼ばかり」とはよくいったもので、生きていると、さまざまな困難に見舞われる。日常生活の困難さは、非常事態のそれに比べて、緊急ではないにしても、非常に複雑で解決が難しいように思われる。しかし、困難さを感じる「自分」がいなくなればどうか?
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マスターベーションをやめれば人生が変わる。

マスターベーションをやめれば人生観は変わる。ポルノが脳に与える悪影響は甚大なものだが、これに習慣的にせっしているひとはその怖さに気づかない。ポルノでマスターベーションをすることは自分のエゴを高めること。強いエゴは必ず日常生活に悪影響する。