私が結婚できない理由。収入がない、引きこもり、クリスチャン。

エッセイ

結婚できない理由は人それぞれだが、私には三つの原因がある。

障害があってまだ自立していないために収入がないこと、引きこもりがちであること、クリスチャンであることがそうだ。

でも、結婚も人生の選択のうちのひとつにすぎず、するしないによって格が決まるわけではない。

結婚できない三つの理由。

ほんの立ち読み程度だったのだけれど、ある作家が「結婚したい」という気持ちがないというようなことを書いていた。

単にキャリアがあるからというわけもなさそうだった。

この作家は女性であるので、周りから結婚したくないのかとか、よく訊かれるそうだ。

あるいは、女性なので、結婚に執着がある、という見方はよくないのかもしれない。

男でも結婚に執着がある人間はいるし、結婚をしたというだけで周りに自慢をするようなひともいる。

傾向として、女性の方が結婚に思い入れがあるのだろうが、数十年してそれがひっくり返ることもないとはいえない。

私はまだ結婚していない。これから先のことはまったくわからないが、おそらくその可能性も低いだろう。

理由はくつかあって、私には障害があるので、収入がなく、自立もまだできていない状態であること、そして、引きこもりがちなので、出会いがないこと、もうひとつは、私がクリスチャンであることもその原因でもあるだろう。

私は、自分に障害があるから結婚できないとはあまり考えない。

障害があっても収入さえあれば、それなりの機会もめぐってくるだろうし、仮に収入がなくても、障害者同士で結婚されるかたは多くいる。

ようはそのひとの魅力しだいというとこになるけれど、私の場合あまりこの点ではぱっとしないらしい。

しかし、充分に家族を養えるだけの収入があるとすれば、自然と、外部との接触も増え、自信もつくだろうし、話はまた変わってくるだろう。

ようは、充分な収入によって自信をつけること、そして、社会とのつながりをもつこと、これは結婚に限らず、なるべく人生を楽に乗り切るための必要条件だろう。

ひきこもりは、その点、非常にタフな生き方になる。

もちろん、タフだからといって、無意味であるはずはない。否応なく引きこもってしまうひともいることだろうし、そのひとの状態はそのひとにしか分からないものがある。

人生はタフでもけっこう生きていくだけの意味や糧は見つかるものだ。

しかし、結婚となると、引きこもりではなかなか難しい。

まず恋愛もできない。

ひととの出会いがネット上に限られるので、それもまた人生をタフにさせている原因だ。

ちなみに私は、ネットでほとんど誰とも係わらないので楽なのだけれど。

クリスチャンは恋愛に否定的。

もうひとつ結婚を難しくさせている要因に私がクリスチャンであることも深く関係している。

クリスチャンは、結婚前にパートナーと肉体関係をもつことは良くないとされている。

もっと保守的な教派ではクリスチャンでない相手とは結婚は控えるべき、と考えるところもある。

つまり、世間的な価値観とはおおきな隔絶があるのだ。

好きであれば、自由に恋愛しても良いという多くのひとからすると、頭の固い、オールドファッションと目に映るだろう。

私もキリスト教に熱心になって来てから、結婚前に自由に恋愛しても良いというような考え方はしなくなった。

恋愛をおう歌するひとたちを不道徳とはもちろん思わないけれど、価値観が違ってしまっている。

これも、私に限らず、特に日本のクリスチャンの結婚を妨げている要因だろう。

しかし、いずれにしろ、結婚も絶対ではないし、結婚したから格が上がるのでもない。

オプションのひとつだ。

私自身はもう結婚も恋愛も必要ないと思っている。

では、また!

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