mizuno_yutaka

小説

病院の学者 [短い小説]

食堂で田野瀬は、桑原さんと隣り合って座った。桑原さんはいつも分厚い本を持ち歩いている。この日も、彼はその本を食堂のテーブルの上で開き、読み始める。本のタイトルは「東方キリスト教の歴史」というものだった。桑原さんは自分が神学者といっていた。やがて浅川さんも食堂に入って来る。
エッセイ

自分を「無」にする散歩。考えることをやめてみる。

散歩をすると自分が無くなっていく。歩きながら、考えることを手放す。そうするだけで、ずいぶんと、生活にメリハリがついてくるものだ。起伏の多い精神のありかたも平板になっていく。詩人とは考えないものだ。私は詩人になりたい。詩人が見たように景色がみたい。
エッセイ

作家と専門性。乱読でなくひとりの作家に集中すること。

作家として長く活動していくには、専門性はあったほうが良い。やたらめったら乱読しては精神を荒廃させると言った作家もいた。誰かひとりの作家と決めて、その作家とながく作品の世界観を共有すること。それが教養となり生きる糧になる。
エッセイ

小説を書くのに必要なのは、連想力。

小説を書くには、ある場面から次の場面を生む連想力がなくてはならない。連想をすることは誰でも意識せずに行っているもので、特殊な能力というものではない。連想力を鍛えるには、普段から注意深くものを感じ、思考のペースを落とす必要がある。
エッセイ

芸術家は計算しない。スマホを置いて、自然に近づくこと。

芸術家は計算しない、とはリルケの言葉。私も文学をやっているのだけれど、計算ばかりしている自分が嫌になることがある。計算は、インターネットを使うことによって増えた。ひととの無益な関り。しかし、芸術をやるには泰然とているのがいい。スマホを置いて自然に向き合うこと。
エッセイ

文字コンテンツは、オタク向けに作ること。

文字コンテンツはもう大衆受けするものではなくて、オタクが読むものになった。昭和のように本が娯楽であった時代はもう訪れない。本を多く売るという発想から抜け出す必要がある。大衆ではなく、濃い読者、オタクにン向けてコンテンツを作ること。
エッセイ

芸術家の孤独。孤独は芸術の親、それに信頼する。

芸術家はみな孤独だといわれている。詩人のリルケは、若い詩人へのアドヴァイスとして、孤独になるようにすすめた。自分を誰かと比べるのをやめよというのだ。これはシンプルだが難しい。たいていのひとにはできない。しかし、孤独というのは芸術家の親、こちらが信頼すれば応えてくれる。
エッセイ

自己顕示欲は必要ない? もの書きのスタンス。

自己顕示欲は、書くための根本的な欲求にならないないと私は思う。誰でも、何かを表現したら、それを評価してもらいたいし、それに満足をしたい。しかし、作家というのは、自分を表現するのではなく、自分が見た世界を表現するのが仕事だ。そして、世界を見ればそれを描写したくなる。
エッセイ

SEOじゃなくて作家性。書くべきことを書く。

SEOなどは始めからするつもりはなかった。でもそれでも読まれるの?読まれるブログもあるようだ。もし、SEOが必須でないとしたら、作家性をこそ鍛えなければならない。作品を作らねばならない。書くべきことを書くというスタンス。
エッセイ

phaさんの格言「すべてのことがめんどうくさい」なかなかいえないよね。

「すべてのことがめんどうくさい」とphaさんのブログにあった。これは私のような真面目人間にはなかなかいえないものだ。真面目人間は「がんばる」とかその反対のことをいいがち。「めんどうくさい」とは自然になるための言葉だ。無理をしない、あるがまま。