mizuno_yutaka

エッセイ

コーヒー一杯で解決する深刻な悩み。

自分の将来について深刻に悩んでいても、実際は単なる暇つぶしであったりする。でも、悩んでいるときはそう客観的に見られないし、たいそうな悩みでないと薄々気が付いているときでも、悩みの力におされてしまうことがある。しかし、案外そういうものはコーヒーが解決する。
小説

先生の風景 【短い小説】

先生の風景画。毎日の買い物にいく往路で高校時代の先生が絵を描いていた。はじめ声を掛けるのを遠慮していたが、しばしば目が合い、相手も見知ったような顔をするので、私は声を掛けた。先生は動作が鈍く病気をしているようだった。声を掛けてからは、先生の姿は見ることはなくなった。
エッセイ

小説の書き出しの苦労。四の五のいわずに書くしかない。

小説を書く上で苦労するのは書き出しだ。それはエッセイよりも、悩みは大きい。小説の方がリズムが重視されるので、少しでも体調が悪かったりすると、書くことが困難になる。しかし、書き出しに苦労があっても慣れるしかなく、ただ書くことでしか問題は解決しない。
エッセイ

悩みが止まないときは、悩みを受け入れる。

悩みが止まないときは、悩みを受け入れるしかなく、抵抗しようとしても逆効果であることが多い。瞑想によって悩みへの考え方も変わってくるが、やはり大きな問題が起きたときには悩みに呑まれてしまう。そんなときは悩みを恵みと受け入れ、まっとうに悩むのが良い。
小説

ベーカリーにて。 【短い小説】

ベーカリーのカフェで詩を書くようになった。家の仕事部屋では気が急くし、図書館は静かすぎて気が散る。カフェがちょうど良かった。しかし、この日、車さんに話しかけられて詩を中断しなければならなかった。彼女の夫は失踪したのだ。私はそこから新しい詩を思いついた。
エッセイ

悩み体質。体の形によって悩みは変わる?悩みの身体性。

悩みの多い体質というものがあって、私などはこれに当てはまる。数年前に、古い精神医学の本を読んだ。そこには、顔の骨格によってひとの気質を分類できると書いてあった。精神活動も身体に依存する。そうであれば、悩みの種類もきっと身体の影響を受けるのだ。
エッセイ

作家はなぜ太ってしまうのか。作品制作以外は、億劫?

作家で、太っているひとは珍しくない。それは、単に中年太りというだけでもないようだ。小説家というのは、作品制作に没頭しだすと、それ以外は考えたくなくなる。あるひとは、自分の健康のことも後回しになる。運動をするのだって億劫なのだ。だから、痩せない。
エッセイ

マジメなひとの人生観。「苦しみも祝祭」

マジメなひとにも当然、生き方への意見というものがある。人生観。マジメなものは苦しいのです、とはリルケの言葉。私もひとに呆れられるほどのマジメ人間だが、やはり苦悩は多い。しかし、マジメとは彼岸に繋がる能力のことだ。あちらの世界に繋がると、苦しみも祝祭になる。
エッセイ

やけくそになる気性は文章を書けば改善するよね。自分を対象化する方法。

やけくそになってしまうときがある。私も長年この気性に悩まされてきた。でも、それは文章を書くと改善された。言葉というのは社会的なツールだ。みなの共通の理解がそこにある。言葉を知るというのは自己の社会化、客観化。客観的なところにやけくそなんてないよね。
エッセイ

三十代の体の変化。男性と女性のちょっとした違い。

三十代は体が大きく変化する。しかし、男性と女性とではちょっとした気づきの違いはあるようだ。例えば、しわ。女性は顔のしわを気にするが、男は自分の顔にいつしわができたなんか覚えていない。同じ人間、男も女も共通して衰えていく。ただ、意識しているところは差がある。