mizuno yutaka

小説

醜男の幸福 [短い小説]

たけしは、三年付き合った彼女と別れた。それで、ほっとしたのだが、災難はそこから始まった。彼は塾で講師をしていた。ある日いつものように出勤したら、塾がつぶれていた。彼は失職した。お金もなくなり、実家に帰る。父親も病気をしてたのだが、彼はそこで幸せをみつけることができた。
エッセイ

日記ブログという文芸ジャンル。ただ自分のことを語る。

日記ブログという文芸ジャンルがあっても良いと思うのだ。日記ブログは、エッセイのように型を意識しなくて良いし、日記のように閉じていない。つまり、よりも自由に書けてより外に開かれているのだ。ブログの強み。ゴッホの手紙も日記ブログのようなものだ。ただ自分のことを語っている。
エッセイ

ゆるいインターネット。スローなものを書いていく。

ゆるいものを日記のような形式で書いていきたい。インターネットは速さに満ちている。そしてその速さは、ひとの自立性までも失わせると、宇野常寛は著書「遅いインターネット」なかで述べている。私はスローに書きたい。遅いでもない、ゆるいインターネットを目指したい。
エッセイ

英語を学ぶ理由。異文化能力の向上を目指す。

英語を学ぶのも大変な作業なので、そこには理由がなければならない。異文化能力という新しい概念がある。海外への開かれた関心と、自己を批判的にとらえる能力のことで、EUでは教育にこれが取り入れられている。多様性は人格にも影響する。多様性だけでも外国語を学ぶ理由にはなる。
エッセイ

文章は難しい。山川草木になるように書く。

文章は難しい。文章を書くひとはそこに意図を持ち込む。野心とか虚栄心とか。しかし、そうなると自然体でなくなる。山川草木から離れる。良い文章というのは邪念がないものだ。すっと書くものだ。山川草木がただそこにあるように、文章も自然にならなくてはいけない。
エッセイ

眠られない夜。つらい、でもそれも神秘であるようだ。

眠られない夜は誰もが経験する。つらい。考えてもしかたのないことを考え、疲労ばかりが蓄積せる。そして、時に死を思う。それも、神秘ということはできる。精神の試練(浄め)は苦痛に満ちているもの。苦痛によってしか、人間は変わることはできない。神秘とは苦しみなのだ。
小説

雨の景色[短い小説]

ユキは、朝からパソコンを開いて仕事をしていた。彼女は文章を書く仕事をしていた。雨が降ってきて、雨音を聞くと、作業ははかどった。雨は彼女に、ある景色を思い出させた。雨の日、坂道が光を反射していた。その光は、彼女が近づけば逃げて行った。
エッセイ

努力しないとどんどん弱っていく。

努力しないとどんどん弱って行くもので、努力というのはまさに健康に直結しているのだ。私はでも最近、あまりに疲れていたために努力ができなかった。しんどくてもやるという方法には限界がある。しんどいときは休むのがいいが、自分を追い込んでなかなかできない。自分を手放すこと。
エッセイ

秋は一年のなかでもっとも感傷的。私が好きな季節。

秋は、一年のなかでもっとも感傷的な季節だ。暑さが消えて、不意に寂しくなる。寂しくなるが悲しくはない。ほどよい感情。しかし、同時に秋は思考が忙しくなる季節だ。考えてばかりいると、感傷が追いやられる。秋を感じるには、思考を手放す努力をしなければならない。
小説

秋の道のり[短い小説]

茂木は、自転車で遠くまで行くのが好きだった。始めは遠出をする予定はなかったが、気が付くと知らない土地へ来ている。彼はスポーツをしているわけではなかった。日頃の鬱憤を晴らすために自転車に乗っていた。彼はプログラマをしていたが、絵描きになりたかったのだ。