mizuno yutaka

エッセイ

老いると楽になる。

老いると、ひとが丸くなり、おだやかに老後を送るひとがいる。一方で、性格がしぶくなるひとがいる。文学者でも、老境を静かにすごしたひとは、みな手放すことを知っているようだ。例えば、文体とか、例えば、構成とか。老人も色々だが、好好爺になるには方法はあるようだ。
エッセイ

考えは手放せないもの。そういうものだと自覚する。

ぐるぐると同じことを考えているから、落ち着きがなくなる。だから考えないでおこう。それはしごくまっとうな考えだと思う。しかし、やはり考え事をやめようと思うのもひとつの考えなのだ。思考ほどコントロールしがたいものもない。
エッセイ

書きたいことはなくていい。文体と世界観。

文章を書き始めたひとがまず初めにぶつかるのが、何をどのように書いたら正解かということだけれど、こと文章を芸術と考える場合、そこに明確な答えというものはない。何をかいてもいい。文体を持ってさえいれば、文章の方が何を書けばいいか教えてくれる。
エッセイ

欲望は際限がない。貪欲、傲慢、虚栄心に気をつけること。

欲望には、際限がない。貪欲、傲慢、虚栄心、そういったものは、人間の宿痾でたいそうコントロールの難しいものだ。私は、最近、英語が飛躍的に伸びた。それによって、様々な夢や欲望が動いたが、庄野潤三やリルケならどうしたろうか。貪欲にも気をつけないと詩人としての在り方を見失う。
小説

桜の歌[短い小説]

葉桜の季節に「花見」に行くのが京子の楽しみだった。しずかとふたちでピクニックに行く。公園には妙な係員がいた。桜が歌うというのだ。不審におもってふたりは相手にしなかった。食事を終えて、カフェでくつろいぎ、帰るころ、何か聴こえた。歌のようだった。
エッセイ

よく分からないから、おもしろい?

休日、大阪に行った。午前中は本屋に行って、売れている本を見て回った。なぜ売れるのかはっきり分からない。それがいい。午後、美術館に行く。押して歩く壁の作品があった。よく分からない。それがいい。その前に、蕎麦屋に行った。店主は不機嫌だった。分からない。これでいいのか?
エッセイ

知識人にならなくたっていいや。

なまじ物書きとしての活動をしているので、勉強して必要な知識は獲得しなければならない。でも、これがたまにうっとうしい。私は、芭蕉や良寛のような流浪の詩人に憧れ、彼らが知識人でなかっただけに、自分の努力が無駄のように思えて来る。暇だからそんな悩みも起きる。
エッセイ

怒りについて。

怒りというものほど、征服しがたいものもない。先日、あるひとにメールを送って、無視され、憤怒した。しかし、怒りの原因は、変に私が自分自身を高く見積もっていたことにあるようだ。上下関係は、怒りのもととなる。でも、自分などたいしたものではない、そう思わないとしんどい。
エッセイ

腹が減ったときに、腹が減ったというだけのエッセイ。

いつものことだけれど、早起きしたので、いま、腹が減っている。これも、腹が減ったというだけのエッセイになりそうだ。現代人にとって空腹はもう異常事態だ。腹が減ったら何か補給しなければならない。江戸時代、百姓はずっと空腹だった。世の無常を悟ることもそれで多かったことだろう。
小説

卒業旅行[短い小説]

田口と末木と僕の三人は、卒業旅行に行く。新幹線で名古屋を過ぎたあたりから、田口の具合が悪くなる。末木はせっかくの旅行だというのに、田口が体調を崩して不機嫌になっていた。大阪に着いて、田口はいよいよ動けなくなり、ベンチにへたり込む。末木の倦怠感も増していく。