不安な時は瞑想をする。不安の原因と対処法。

エッセイ

不安にも色々とその原因がある。内的要因、外的な環境要因、そしてそれらが組み合わさって問題をより複雑にさせている。

不安自体は悪いものではない。過剰な不安が問題なのだ。

では、その過剰な不安をどう克服するか。

歩きながら瞑想するのがいい。ちょっとの時間でできるし、無理もない。

不安は、どんなひとにも、どんな状況でも起こりうる。

どんなビジネスにおいても、不安との闘いは、ビジネスパーソンが共通して行わなわなければならない作業のひとつだ。

先日、あるインフルエンサーがいっていたが、彼は年間で数億の儲けをだしているのに、いまだに不安だというのだ。それこそ、フォロワーが百人(彼のSNSのアカウントには数万人のフォロワーがいる)減っただけで、自分はもう落ち目にさしかかっているのでは、と自信を無くしてしまうというのだ。

僕のように特に金持ちでもなく、インフルエンサーでもない人間からすると、「でも彼は資産を多く持っているのだから、仕事が全部なくなったとしても、しばらくは安泰なのでは?」と彼の発言を半信半疑で聞いてしまうのだが、それにしても、わざわざ、嘘をついてまで、自分の不安をさらけ出す必要もないので、やはり、金持ちも金持ちで大変であるようだ。

不安はどこにでもついて回る。家族が体調を崩したら、心配であると同時に、先々のことを考えて少し不安になる。勤めている会社の経営成績が悪化すると、失業への不安が起こる。あるいは、フリーランスで仕事を始めた人はメンタルに不調をきたしやすくなるが、これも先々への不安から来るものだ。

不安はどこにいても、どんなポジションでも起こる。外的要因で起こるときもあるし、内的なことが原因である場合もある。そして、原理的に人間の脳は、リスクを察知しやすいようにできているので、不安を感じることから完全に離れることはできない。

もし、不安を感じることができなかったとしたら、それこそ、一大事である。おそらく、危険を感じずに、信号も守らず、おかしなところばかりに行って、身が持たない。

ようするに、不安からは誰も逃れられないし、逃れようとすることのほうが、生物学上間違っているのだ。不安はおこるもの。そう思ってあきらめるしかない。

不安の解消にはやっぱりマインドフルネス。

不安は起こるもので、あきらめろ、といわれても、それで問題が解決しないのは当然のことだ。不安があるから、落ち着いて暮らせない、困っている。

問題は、不安自体ではなく、不安を過剰にさせている要因である。それは、内的なことが要因であることもあるし、外的なことが原因であることもあるが、それのミックスがことを余計に複雑にしている。

もともと繊細なひとは、ちょっとした環境の変化にストレスを感じやすい。職場の同僚のちょっとした嫌味でも、深刻な災害が起こったかのように考え込んでしまう。

この場合、不安というのは、リスク回避のために働いているというよりは、不安そのものを増大化することが目的化してしまっている。

不安自体に意味はない。不安によって危機を回避させることに意義があるのであって、不安を欲しがって貪り食っていては調子を崩すのは当たり前である。

そうはいっても、この過剰さがやめられないからみんな困っているのだ。ちょっと不安ならいい、でもそれが大きくなり過ぎたときどうするか。

もっとも健康的で、気軽にできる対処法は、歩きながら瞑想することだ。そのために特別に時間を設けるひつようはない。通勤時間の数十分、営業先までの移動時間の一時間、ほんのついでに瞑想をする。

瞑想と言ってもとくべつなことをしない。ただ歩く、歩くのを意識する。それだけ。

医学的な観点からもこれは効果があるし、マインドフルネスが習慣になるとさらに不安は抑えられる。

マインドフルネスの指導者のアンディ・プディコム氏はもともと僕らは空っぽであると説いている。つまり、過剰さを求める心というのはもともと存在しないのだ。

瞑想で「空っぽ」になる。すると、不安の本当の原因も見え始める。

では、また!

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