アメリカ人の書く自己啓発書はとても知的であり格差の象徴。

woman in beige coat standing near white wooden book shelf エッセイ
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アメリカでは富の格差がここ十年くらい大きな問題になっているが、それは同時に教育の格差、知的格差でもある。

アメリカのビジネス書や自己啓発書は学者や学歴の高いジャーナリストなどが書いたものばかりで、非常に知的レベルが高い。

本を読む文化自体が高級であることが透けて見える。

アメリカの自己啓発書はもう教育・知的格差の象徴となっている。

知的なアメリカの自己啓発書。

僕はMediumというブログのプラットフォームでよくアメリカ人の書いたエッセイをよく読むのだが、自己啓発大国というだけあって、ポジティブな意見がやはり多い。

ポジティブであることは、何かを発信するうえでの前提条件のようになっていて、例えば、イギリスのある新聞のように、悲観的であることがむしろインテリジェンスだというような主張はあまり見受けられない。

しかし、自己啓発大国アメリカといっても、データや根拠のないポジティブ思考をただ推奨するひと少数で、ネガティブな状況を踏まえたうえで、どのような解決策があるかあくまで、ロジカルにとらえようとする記事は多かった。

データもなく、ただポジティブであることを問題の解決策として据えるようなスピリチャルな意見もけして珍奇というわけではない、しかし、あまり支持を集めていない。

自己啓発といっても幅は広く、著者の主観的な意見をもとにしたものもあれば、詳細な科学的なデータを参照したうえで、ものを論じるものもある。

一般の書店に並ぶようなビジネス書、自己啓発書では、科学的なデータの引用の掲載がほぼルールのようになっている。アメリカはスピリチュアル大国であると同時に、サイエンスに対する信仰も非常に強い国で、おそらく根拠のない論説には抵抗感もつよいのだろう。

アメリカのビジネス書、自己啓発書はしかるべき書き方、フォーマットというものがあって、先にあげた科学的なデータの引用することもそのひとつだ。

しかし、Mediumはやはり誰でも自由に自分を表現できるプラットフォームなので、やはりどうしても主観的な意見はおおくなってしまう。

驚くのは、自己啓発書の著者であれ、Mediumのブロガーであれ、書き手の学歴の高さである。何か文章でもって、自分の知識を披露しているひとで、僕のような高卒の人間はまずいない、みな最低でも修士号をもっているし、Phdをもった専門の学者もMediumにはけっして珍しいことではないし、本屋に行けばわかることだが、アメリカ人で自己啓発書やビジネス書を書いているひとは、みな学者や修士号をもったジャーナリストとかいずれかである。

自己啓発書といってもかつてのように(日本ではまだその傾向があるが)著者の気前のいい意見を並べたようなものはむしろ少数で、知的好奇心を満たさないものは読まれなくなってきている。ベストセラーであるものほど、知的レベルの高く、またページ数が多いのも、アメリカの自己啓発書の特徴だ。肉厚で専門的な本が好まれるアメリカでは、おそらく相対的に(あるいは二極化しているのだろうが)知的レベルの高いひとが多く、これもやはりアメリカ人の学歴の高さと無縁ではないだろう。

しかし、一方で、高度な教育があるひとというのは、どこの国でもそうだが、富裕層に限られるし、アメリカでもそれが原因で富の不均衡が大きな問題になっている。自己啓発書を見ると、本を読むこと自体がアメリカでは高級な文化で、たとえ自己啓発書であっても、十分な教育のあるひとだけに限られた非常な高尚な娯楽となっているのは明らかだ。

本を読むというのは、単に知識を集めるだけでなく、深く意義ある生き方をするためと僕は自分の読書から学んできたが、そこに格差が生じている。

意義ある人生にも教育の格差があるのなら、世の中すべて資本で物語れるということだろうか。

では、また!

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