暇をつくって思い悩むことも大事。

エッセイ

思い悩む暇な時間をつくることががこれからの課題となるかもしれない。

スマートフォンのせいで私たちはぼーっとする時間が奪われている。

時間が空いたら、スマホの画面をみているし、手ぢかにないと気になってしかたがない。

しかし、暇な時間、思い悩むこともなかったらクリエイションもない。

スマホのせいで時間がない。

待ち合わせの場所に早くについてしまった。

近くにはカフェもないし、あっても時間が中途半端なので、コーヒーで一服という訳にもいかない。

で、そういうときひとはどういう行動をとるだろうか。

かばんの中から、あるいは、胸ポケットからスマートフォンを取り出す。

ああ、このせいで多くのひとは、暇な時間をすごせないでいる。

情報収集とはなんでも、人間にとっては依存につながるほどの快感であるらしい。

それは人間の生存本能からくることらしく、なかなか理性でもってこれに打ち勝つことは難しいとのことだった。

以上は、ある書評ユーチューバーのいうことなのだけれど。

しかし、これには私も同感で、私も情報収集という快感が手放せず、れっきとしたスマホ依存者だ。

それは、ブログを始めてから特にそうだった。

アクセス数の確認から、他のブロガーの記事の勉強まで、とかく情報を集めることは楽しい、そればかりか確認せずには、どうも落ち着いて座っていられなくなった。

ぼーっとする時間がない、明らかに暇がなくなっている。

暇といえば、ネガティブなイメージ語られることが多い。

時間の浪費だとか、精神が病むだとか、あるいは暇があったら働けというひともいる。

しかし、スマホのせいで多くのひとは働きすぎではないだろうか。

純粋に労働ではなくても、例えば会社からの帰りの電車で本来ならぼーっとしたり眠ったりできるところを、何となくスマホの画面をみてしまう。

そして、あるトピックに関心がむくと、あれこれと情報を探し出す。

これ働いているのと一緒ですよ。疲れることをしているのです。

いま生きているひとは明らかに時間がない。

暇をつくって思い悩むのも大事。

暇をつくって思い悩むことも大事と私は考える。

暇ができたらそれはそれは碌なことを考えない。俺はいったい何がしたいんだ、才能はないかもしれない、いまいる会社はだいじょうぶかな、そんなことを考えていたら、誰だって病んでいく。病気にならずとも、気持ちは沈んでいく。

でも、悩むことがなかったらクリエイションはないよね、と私は思った、確か昨日だったかな。

クリエイションっていっても詩とか小説とか絵とかそういうものばかりに当てはまるものでもない。

えらい俗な表現になってしまうけど、生きることってクリエイションだよね、というところに最終的には落ち着くんだと思う。

私は、小説を書くのだけれど、ときどき、小説が書けなくなったらどうしようか、考えることがある。

病気や事故やそういう自分ではどうしようもない状況下で、私はどう振る舞えばよいのだろう。

そうなったらもう、私は自分の人生を小説にするしかないと思う。

そうなって初めて小説というものを生きることになるのかもしれない。

生=クリエイション。

そんなことを考えるのも暇があったればこそだ、悩みがあったればこそだ。

その大切な時間を私たちは、手のひらサイズの小さい板切れに奪われてしまっている。スマホ恐い。

でも、もうスマホは手放せないことは私たち自身が自覚していることで、いかに、弊害が多くとも、もう時代は逆には戻せない。

スマホとよりよく共存していかなくてはいけない。

努力して暇をつくるって何だかばかげた話にもなるのだけれど、私たちの時代にはそれが大きな課題のひとつなんだろう。

そのうちぼーっとする時間を金で買うことになるかもしれない。

では、また!

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