SEOじゃなくて作家性。書くべきことを書く。

エッセイ

SEOなどは始めからするつもりはなかった。

でもそれでも読まれるの?

読まれるブログもあるようだ。

もし、SEOが必須でないとしたら、作家性をこそ鍛えなければならない。

作品を作らねばならない。

書くべきことを書くというスタンス。

SEOはやらなくても読まれる?

まがりなりにもブログをやっているのだからSEO(Google上位表示のための施策)をやらなきゃなと思っていた。

でも正直にいうとめんどくさい。

私は好きなように好きなことを書きたいし、書くべきこともたくさんあって、Googleさんに気に入られようと意識すると、そのへんのことをどうしても抑制しなくてはならない、ああ、苦痛だなあと思っていた。

そんなときに、ふっきれるきっかけを作ってくれたのがブログ村というコミュニティで、そこでは主に日記ブロガーさんたちが日々ブログの内容を公開していた。

そこはアクセス数によってランキングされるシステムになっていて、上位のブログになると月に数十万アクセスもある。

しかし、日記ブログには違いなく、明らかにSEOなんかやっていなくて、書き手が書きたいことを書いているだけだった。

アフィリエイターが「日記ブログは読まれません」とよくいうが、案外広く信じらていることにかぎって盲点も多いのかもしれない。

とかく、SEO云々の小手先の知識を収集するより書くことだ。

頭より手を動かせ、とは職人業に従事するひとはみないう。

文章を書くこともいうなれば職人技で、まず手を動かさないと上達しない。

下手な文章はひとを動かさない。

作家性を鍛える。

私は文章でもって広告商売をしようとは始めから思っていなかった。

あくまで文章を売って生きていこうと考えていた。

つまり作家になるということになる。

作家なんだから当然作品がなくてはならない。

エッセイなり小説なりそういうものがなくてはならない。

他人の商品を売るのではなくて、書き手個人の作家性を売らなくてはならない。

そうなると、ああ自分のことを書いてけばいいのね、って話にはなってくるのだけれど、私はそれは半分正解で半分間違いだと思っている。

作家は自分の個性を書くのではなくてすでにある世界を書くのが仕事なのだ。

世界は霞のような存在で歴然と存在してるけど見え難い、そこを作家は掴むわけ。

そこにいたるアプローチは作家によって別々で個性的なのだけれど、世界自体は作家の個性を超えたもの。

作家はそこに接続できればそれで良い。

作家性とはその接続の仕方のこと。

つまり良い文章を書くには作家性を鍛えなければならず、SEOをいくらやっても立派な文章にはならない。

先に述べたようにブログが読まれるためにSEOが必須というわけでないなら、作家性こそ大事。

読むに耐えるものを作る、作家の仕事はそれにつきるよね。

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