作家はなぜ太ってしまうのか。作品制作以外は、億劫?

エッセイ

作家で、太っているひとは珍しくない。

それは、単に中年太りというだけでもないようだ。

小説家というのは、作品制作に没頭しだすと、それ以外は考えたくなくなる。

あるひとは、自分の健康のことも後回しになる。

運動をするのだって億劫なのだ。

だから、痩せない。

痩せるのだって、それなりの意義が必要。

中年になると、脂肪が付きやすくなるといわれている。

二十代のころは、そんなことはもちろん考えもしなかったが、三十五歳の現在、それはその通りだと頷くしかない。

脂肪がつきやすいだけならまだしも、痩せにくいというのも中年太りの特徴だ。

私は、二十代の一時期、いまよりもだいぶ太っていた。運動も特にせず、そのくせ、食料はひとの二倍くらいとっていたので、太らないほうがおかしい。

けれど、健康を考えて、一念発起して、食事の量を減らすなどして、ダイエットに取り組んだら、二か月くらいだったろうか、もとの体に戻った。

ところが、三十も半ばに近づいて来ると、食事制限くらいでは痩せなくなる。

それとともに、激しい運動も必要なようだ。

私は、小説を書くし、よく読むのだけれど、考えれば、作家というのは太っているひとも多い。

肖像で見る限り、バルザックがそうだし、プルーストも写真で見る限り、ちょっとぽっちゃりしている。ヘミングウェイの晩年は、立派なデブだ。

日本の作家ではどうだろうか、まず始めに思い浮かんだのは、開高健だ。彼はよくテレビにも出ていた。それが、いまは動画でも見られるが、彼は太っている。釣りなどスポーツにも凝っていたようだけど、太っている。

他には、中上健次。彼が、彼が討論している短い動画があったが、ものすごい太っている。お相撲さんのような体格だった。彼の場合、お酒をよく飲むということだったが、それが原因しているのかもしれない。

あと、井伏鱒二も太っている。

作家というのは、酒をよく飲むといわれている。

そのくせ、自宅に引きこもって行う作業が多いので、よほど意識しないと、運動不足なるのだ。

数日前に、ある若い画家がいっていたのだけれど、大食らいは画家には向いていないらしい。半分は冗談でもあった。彼がいうには、画家とは、一日の大半を絵の制作に費やすので、運動している時間などないのだそうだ。飯をくいながらも描くひともいるということだった。確かに、それで、ご飯をたくさん食べていたら、太るしかない。

画家にしろ、作家にしろ、作品制作に没頭したら、それしか考えられず、自分の健康のことなど、やはり後回しになってしまうのだろう。

それに、作品をつくること以外は、すべて億劫なように思われてくる。

痩せるために運動をするのも、酒をやめるのも、食事を制限するのも、家事をするのだって億劫だ。

それを克服するのには、一般のひとよりもよほど、克己心が必要になってくるかもしれない。

例えば、村上春樹さんは、三十歳を超えたあたりから、マラソンを始めたそうだが、それは彼のストイックな意志があってはじめてそうできたのであって、おおくのひとは真似できない。

生活の中に運動を取り入れようと思ったら、まず生活そのものを根本から見直さないといけなくなってくる。

作家といえば、酒飲みのイメージがあるが、午後仕事が終わってゆっくり一杯やろうかという時間にウォーキングに行くのであれば、単に酒を散歩に変えるという発想では長続きはしない。

朝起きて、寝るまでの時間をなんとなくであっても、ウォーキングの方へ合わせていかなくてはならない。

これが難しい、あるひとにとってはそこに文学上の意味が必要になってくる。

とかく作家というのは動きが遅いのだ。ちょっとエンジンを動かすにも意義が必要になって来る。

だから、なかなか痩せないのだ。

では、また!

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