自炊でマインドフルネス。外食をやめることで頭がよくなる。

person holding sliced vegetable エッセイ
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自炊も瞑想にすることができる。

あるマインドフルネスの本によると、瞑想とは、座ってじっとしている時だけに限らないという。

歯を磨くのも、アイロンをかけるのも瞑想となる。当然、自分で食事を作ることも瞑想になる。

なんでも頭によいことは健康なことだ。

頭が良くなりたければ自炊する。

自炊は面倒でもやがて喜びに変わる。マインドフルネスとしての自炊。

エッセイストで英文学者の外山滋比古さんが、「思考の整理学」という本のなかで、自炊することの大切さを問うている。

彼の友人の若い奥さんが亡くなられたそうで、友人はもっぱら、家のことは奥さんに任せていたものだから、独り身になると、外食ばかりしているという。

外食は体に悪い。どんな調味料がどれだけ使われているか、消費者には食べただけではなかなかわからない。食っているときは、確かにおいしいように感じることは多いが、後で胃がもたれたり、胸のあたりがむかむかとしてきたりする。

自炊だと、食材から調理のしかたまで、自分で全部コントロールできるから、工夫次第で、毎日健康な食事を取ることができる。

実際に彼の友人は、外食のためにどんどん体調を崩していったそうだ。

しかし、外山さんは、ここで、自炊が単に栄養学的に体によいと述べているだけではなくて、自炊をすることで、頭もよくなる、と主張されている。

僕は、よくマインドフルネスの本を読むのだけれど、先日読み終えた本のなかには、歯を磨くことも、掃除をすることも、アイロンがけも、つまり日常の作業はすべて、瞑想になるといっていた。ということは、自分で食事を作ることも、当然、マインドフルネスの訓練にすることができる。

外食が習慣化することのもっとも悪い影響は、栄養面に現れることではない。外食でも、最近は健康食をうたうレストランも増えてきているので、探し歩く労力と金とを惜しまなければ、健康な食生活を外食で送れないこともない。

しかし、外食が習慣化してしまうと、そこから、自炊の生活に戻ることは大変な困難だ。外で食べれば、金を払えば、全部用意してくれるわけだが、自炊するとなると、買い物から調理、後かたづけまで全部自分ですることになる。これが面倒である。

僕は自分で料理もするのだが、買い物にいって、そこから調理を終えるまで、どんなに早くても一時間はかかる。これが、牛丼屋にでもいけば、ほんの十分で料理が出てくる。

家事はなんでも重労働だが、なかでも、自炊、自分で飯を作ることが、もっとも手間がかかる。これを外食で外注化してしまうことが、習慣化すると、もとに戻すのは一苦労だ。

自炊は面倒で、時間もかかるが、外山さんがいうように自炊することで頭がよくなるというのは、誇張でも冗談でもないように思われる。人間は手をつかうことによって、脳が発達してきたし、精神疾患のリハビリの現場でも脳に良い効果を与えるとして、手作業が推奨されている。

で、自炊とはまさに手作業である。包丁を使い、野菜を切り、後かたづけにまた手を使う。

もちろん、健康な食事はそれだけで、頭に良い。

買い物で何を買うか、冷蔵庫に何が余っているかを計算して、調理するものを考えるのも頭に良い。

外食をするということは、これら最良の脳トレをすべて省くことになる。

自炊は面倒だ。しかし、トマス・アクィナスという神学者がいうには、人間、良い行いというのは、喜びになるということ。

仮に、自炊が慣れず、つらいように思えても慣れてくれば、いろいろとおもしろい発見もあるもの。

マインドフルネスでも、始めたての数日はやはりつらい。五分も集中できない。しかし、慣れてくれば、五分、十分の瞑想では物足りなくなってくる。

自炊もマインドフルネスの一環だと考えれば、そうした努力もすべて喜びになる。

野菜を切る。それだけで大きな効果がある。

では、また!

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