英語でブログを書くようになって、多くの英語で書かれた記事を読むようになった。アメリカ人はほんとうにアグレッシブでポジティブだ。
弱音を吐けるだけのスペースがまったくないようでもある。
しかし、phaさんの本にあるような力まないエッセイも僕は必要と思うのだが。
アメリカではポジティブでなければならない。
去年(2022年)の夏あたりから、英語でもブログを始めて、紆余曲折ありながらも、ともかく一年くらいは続けることができた。
ブログといってもアフィリエイトをやるわけではなく、Mediumというプラットフォームでエッセイを書いている。Mediumは、日本のnoteによく似たブロガー向けのSNSで、noteと異なるところは、読まれたページ数に応じて収益が発生するところだ。Kindleにシステムがよく似ている。
さて、一年間、英語でブログを書き、またたくさん英語記事(ほとんどはアメリカ人が書いたのも)を読んだ中で気づいたことは、アメリカ人の書くエッセイは非常にアグレッシブで、ポジティブだということだ。
僕は日本語でもブログを書いているのだけれど、そのきっかけとなったのが、作家でエッセイストのphaさんの運営する「phaの日記」を読んだことだった。彼のブログはギーク界隈では有名で、いまなおnoteで続けられているブログは数万のフォロワーがいるほど人気なのだが、それというのも、彼の脱力系のしゃっちょこばらない文体が多くのひとをひきつけているからだろう。
誰もが一度や二度、ゆるく自然に生きられたらと思うもので、彼のブログは彼自身がその生き方を体現したものとして書かれてある。
さて、アメリカのブログSNSのMediumであるが、ここに投稿されているエッセイは先にいったように非常にアグレッシブなのだ。僕はほんとうに多くの記事を読んだけれど、phaさんが書くような脱力系のナチュラルな書き物はひとつも見つからなかった。とにかく、前向きで、ポジティブで、問題解決にはアグレッシブで、というのがほとんどルールになっている。
もちろん、自然観察を勧めるような「ナチュラリスト」のブログも人気であるけれど、それも例外なく自主的な選択と努力とが前提にあって、意見が述べられている。
phaさんのブログのような流れに任せ、力まないことをモットーにした記事は僕が探した限り、まったく見当たらなかった。
何をポジティブと考えるかを考える。
ポジティブシンキングも過剰になると、メンタルにも悪影響を及ぼすらしく、「自己啓発大国」のアメリカでもそれへの批判がしばしば見られるようになった。
自己啓発本も少し違った趣のタイトルがみられるようになって、「やめる力」とか「成功も運のうち」という一見ネガティブとも受け取られるような本がベストセラーになっている。
僕がMediumで見つけた記事のなかでも「ポジティブシンキングはたんなるマスターベーション」と主張するひともいた。
前提としてポジティブがよしとされるアメリカでもその過剰さは見直され始めているのだろう。
しかし、何をもってポジティブとするのだろうか。
「問題の壁をぶち破れ!」というような気合の入った考え方では早晩、エネルギーが枯渇する。
一方、つらいことをしんどいことを素直に受け入れることも態度としては充分健康的でポジティブである。
phaさんは本で書く、「僕はいつも『だるい』とか『めんどうくさい』とかそういうことばかりいっている。そんなことを口に出す理由は『だるさを肯定したい』のほかに『自分を大きく見せたくない』というのもある」。
僕はこのような言葉を自由に発信でき、評価される居場所こそほんとうに「ナチュラル」な社会だと思う。
ポジティブはネガティブを含んでこそ深みを持つもので、それを排除しようとすると、妙な執念を生んでしまう。
では、また!
参考文献
「しないことリスト」pha著、大和書房
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