本屋に行けば、必ずロジカルシンキングの本が棚のいいところに並んでいる。それくらい人気だ。
ロジカルというといい響きがある。ものごとをドライにすいすいと薦めて行く。
そこに人間の感情や価値判断は入りづらい。
それだけに、ロジカルな考えは「幸福」とは相反することが多い
ロジカルシンキングとは想定される結果に対して備えをすること。
ビジネス書や自己啓発本などをちらほら読んでいると、かなり具体的に考え方の指南が書かれてあることがある。
たとえば、心理学テストにつかわれるような質問を表にしてチェックできるようにしてあったり、思考のパターンをカテゴリー分けして、その分類ごとにアドヴァイスが書かれてあったりと、要するに曖昧なところを排除して、ロジカルにすべてはっきりと解答が出すように薦めている。
これはこれで有用なんだろうと思う。
ビジネスにおいて曖昧なところで、まあこのへんでといって「しゃんしゃんしゃん」と話を合わせるなんてことは、もうどこの会社もやっていないだろう(あるいは慣習として中小企業ではまだあるかもしれない)。
なんとなくだけど、空気を読んで、プロジェクトを進めるというのは、日本国内だけのドメスティックな環境であればある程度は通用していたかもしれないが、外国に行くと、「空気」感がまったく違う。「しゃんしゃんしゃん」が分からない。
というわけで、万国共通の(と思われている)ロジカルシンキングがいい、とその手の本が流行った、といえなくもないだろう。
ともかく、グローバルな世の中で、日本だけの感覚ではどうにもいかなくなった、それは日本国内でビジネスをするうえでも事情は同じ。スマートフォンが日本の携帯電話市場を駆逐してしまったように、外国から何が来るかわからない。とかく、頭をロジカルに働かせて、世界の動きに敏感である必要がある。
ロジカルに考えるとは、想定される結果にたいして備えをするということだ。
例えば、ブログの世界では、Googleのアップデートが致命傷となる場合がある。それまで、月10万pvもあったのに、急に半分以下の閲覧数しか稼げなくなくなるというのはざらに起こる。そのため、多くのブロガーはなるべく、Googleにだけに頼らない方法を取っている。SNSも利用し、顧客をとどめておくのだ。これも現状分析から出たロジカルな発想だ。
あるいは、もっと大きなことをいうと、内田樹さんによれば、アメリカの政治では、想定されるもっとも悲惨な状態にたいして、対策をするという気風があるらしい。日本は曖昧に濁して、臭い物に蓋というようなところもあるが、アメリカではもっとも困難な状態を予想したひとが尊ばれる。戦争というものに対しても核をとりあえず想定する。
ロジカルというのは、発想の始めの段階からかなりドライなのだ。
しかし、もっとも小さな問題に帰ると、「想定されうるもっとも悲惨な状態」に備えるとは一般市民ならみなやっているのだ。
日本は貯蓄するひとが外国に比べてかなり多いということだが、それは「悲惨な状態」に備えているからだ。「食えなくなる」というような「悲惨」な状態が嫌だから、貯蓄をする。
それは、社会がこのまま安定を保っているという前提ならそう間違った判断ではないとは思うし、ロジカルな判断だとも思う。
でも、もっともミクロな発想をすると、「悲惨な状態」を空想して果たして、それで生活が楽しくなったかというとそうでもないはずだ。
しかし、人間が何に価値を見出すかは予想外なことが多く、ロジックで計れない。
生活の貧富はそのひとの価値観にある。
本の虫というのは、本さえあれば幸せだと思うものだが、本を読んでいるとき、彼の頭のなかには「想定されうる悲惨な状態」というものは存在しない。
生活の豊かさはそういうもの。
では、また!
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