2021-12

エッセイ

作家が出会う不思議なこと。「見る」ことから不可思議さは始まる。

作家のエッセイを読むと、不思議なことがよく書かれてある。先日、川上弘美さんのエッセイを読むと、居酒屋のカウンターで蛙が放し飼いにされているという場面があった。なかなかそういう場面には巡り合えない、いや、その場にいても覚えていない。作家とはやはり「見る」ひとなのだ。
エッセイ

無職の友達。無職になると、ひととの関りが減って来る。友達の捉え方も変わる。

無職でも友達ができることはある。当然だけれど、無職も長く続けば、ひとと会うのが億劫になるし、ひとと会う機会も減る。そして、多くいた友達もごっそりと去って行く。それはそれでいい。友達の捉え方も、その中で変わっていく。そして、無職には無職なりの友達ができる。
エッセイ

オタクは、個人主義者。他人の評価よりも自分の世界観が大事。

オタクほど、個人主義的な人間もいないと思う。もちろんひとにもよるだろうけれど、他人にかっこわるだとか、意味不明だとかと揶揄されようが、自分の世界観を優先させるのが、オタクだ。他人の評価など二の次で良い。独立独歩で生きるにはオタクになるのが手っ取り早い。
エッセイ

青春にも段階がある。若い青春、中年の青春。三十を越えると楽になる。

青春にも段階というものはある。私はもう三十五歳でもう中年のおっちゃんだが、青春が終わったと実感したことはない。青春にも若いひとが感じるものと、三十を越えた人間が感じるものとでは、当然だが質に違いがある。分別がつく点、三十代の青春は楽だ。ただ一概にいえない。
エッセイ

仕事の前の儀式。仕事を大切にするひとのお作法。

仕事の前に儀式を持っているひとがいる。おそらく仕事を大切に考えているひとほど、儀式にこだわるのだろう。儀式というのは、精神を整えるための作業だ。ということはそういうひとは、仕事も精神的なものと捉えているのだろう。お作法も、凝ったらけっこう気持ちいい。
エッセイ

同じような日が続くのは嫌?人間はルーティーンのなかでしか生活できない。

「毎日が同じような日」という表現は、悲観的な意味で使われることが多い。人間は飽きやすくて、自分が設定したルーティンにもすぐに嫌気がさす。でも、人間は一方で「はんぷくするもの」だ。災害でなどで、非日常がやってきても、ルーティーンを求める。ルーティーンが生活を作る。
エッセイ

伝統を重んじるこころ。システムだけでは人間は生きては行けない。

伝統という言葉はもう死後に近づいているのではないかと思う時がある。伝統を重んじるなど、効率を求めるひとからすると眉唾ものだろう。でも、人間はシステムだけでは生きて行けないのは、ニ十世紀に我々はすでに経験している。伝統がないところには精神もない。