2021-10

エッセイ

優れた作家が後世に読まれるとも限らない。読まれる作家は俗なるもの。

優れた作家が死後も読まれるとは限らないのは、本屋に行けばよく分かるものだ。私はひところ中上健次をよく読んだ。彼はまぎれもなく優れた作家だ。けれど、現代では一部のファンを除いて誰も読まない。彼はあまりに文学に純粋でありすぎた。読者は分かりやすく譬えないものを嫌う。
エッセイ

日記の書き方。自分の日記を読んで思ったこと。作家の日記とともに。

日記には書き方というものはない。好きなように書いて行けばよい。でも、私は自分の日記を読み返してすっかり自信をなくした。遠藤周作は、日記の中で批評を試み、創作の構想を練っている。グレアム・グリーンは自分が見たものを書き留めている。良い日記とは外へ向かうようだ。
エッセイ

小さな幸せを大切にする。上を向くのではなく、下を見る。

日本人は小さな幸せを大切にするのだといわれる。ご飯を食べて幸せ、良い天気で幸せ、お風呂に入れて幸せ。ビジネス書にはそれと反対のことが書かれている。とかく、遠いところに目標を設定するように促している。でも、私は幸せは上にはなく、足元にたくさん転がっているようなものだと思う。
小説

醜男の幸福 [短い小説]

たけしは、三年付き合った彼女と別れた。それで、ほっとしたのだが、災難はそこから始まった。彼は塾で講師をしていた。ある日いつものように出勤したら、塾がつぶれていた。彼は失職した。お金もなくなり、実家に帰る。父親も病気をしてたのだが、彼はそこで幸せをみつけることができた。
エッセイ

日記ブログという文芸ジャンル。ただ自分のことを語る。

日記ブログという文芸ジャンルがあっても良いと思うのだ。日記ブログは、エッセイのように型を意識しなくて良いし、日記のように閉じていない。つまり、よりも自由に書けてより外に開かれているのだ。ブログの強み。ゴッホの手紙も日記ブログのようなものだ。ただ自分のことを語っている。
エッセイ

ゆるいインターネット。スローなものを書いていく。

ゆるいものを日記のような形式で書いていきたい。インターネットは速さに満ちている。そしてその速さは、ひとの自立性までも失わせると、宇野常寛は著書「遅いインターネット」なかで述べている。私はスローに書きたい。遅いでもない、ゆるいインターネットを目指したい。
エッセイ

英語を学ぶ理由。異文化能力の向上を目指す。

英語を学ぶのも大変な作業なので、そこには理由がなければならない。異文化能力という新しい概念がある。海外への開かれた関心と、自己を批判的にとらえる能力のことで、EUでは教育にこれが取り入れられている。多様性は人格にも影響する。多様性だけでも外国語を学ぶ理由にはなる。