2021-08

エッセイ

静かに生きるのは、努力だけでは無理? 静けさとは貧しさのこと。

静かに生きようとするひとは、たいてい真面目なひとだ。真面目なひとはたいてい努力家で、小さなことをコツコツ積み上げるのが好きだ。それは良い。でも、努力というのはそれ自体快楽で、これに盲目になると、静かに生きられない。静かさとは貧しさのことだ。
小説

夏の別れ[短い小説]

転校してきた黒田は、タイチと殴り合いの喧嘩をした。タイチはすぐに降参して、その日から黒田はタイチと彼の仲間とに受け入れられた。夏休みに入る前、仲間のひとりのカズヤが狩りに行こうといった。その相手がホームレスと知って、黒田はタイチらとは付き合わないようになった。
エッセイ

夏に蝉の声を聞くと、郷愁を誘われる。

夏に蝉の声を聞くと、古い日本を思い出す。日本的な感性が自分のなかに育っていることを悟る。郷愁。伊東静雄は若い学生に「蝉がきらいなら日本の詩人にはなれませんね」といった。私はとくにひぐらしの声を聞くと日本的な寂しさを感じる。
エッセイ

暇をつくって思い悩むことも大事。

思い悩む暇な時間をつくることがこれからの課題となるかもしれない。スマートフォンのせいで私たちはぼーっとする時間が奪われている。時間が空いたら、スマホの画面をみているし、手ぢかにないと気になってしかたがない。しかし、暇な時間、思い悩むこともなかったらクリエイションもない。
エッセイ

ファッションにこだわらないと楽。自意識過剰を卒業すると自分が淡白になる。

ファッションにこだわらないと楽というのは、当然のことだろう。ファッションとは気をつければ気をつけるほど、自意識過剰になって行く。ファッションにこだわるのも明らかに煩悩のひとつだ。楽に生きようと思うなら、やっぱり煩悩はない方がいい。ファッションもほどほど。
エッセイ

考え事で忙しくなると、落ち着いた生活ができない。

考え事をしだすと、自分の世界に没頭するあまり、周りの小さな変化に気づくことができず、気持ちも落ち着かなくなる。生活を落ち着かせるためには、日々のちょっとした周囲の変化に注意深くなる必要がある。注意深くなるには、ゆるく生きる必要がある。
小説

海での出来事 [短い小説]

田崎に誘われて、私は海に行った。田崎は、恋人のまさみを連れて来ていた。私は彼女が来ていることを事前に知らず、気を揉んだ。まさみは不機嫌だった。それからしばらくたって大学が始まると、田崎の姿を見なくなった。まさみは田崎と別れていた。
エッセイ

自炊も慣れる。めんどうくさい、でも慣れる。生活の身体性。

自炊も慣れるものだ。私は体が弱いので、生活全般は何でも苦痛なのだが、特に料理を作ることが辛かった。おまけに、めんどうくさい。しかし、「慣れる」ことも身体的なことであるので、体さえその作業に慣れてしまえば、ほかに考えるべきことはなにもない。体に注目する。生活の身体性。
エッセイ

海なし県にいると海が恋しくなる。

海なし県にいると、海が恋しくなるときがある。私は海辺育ちなので、海の景色が私のアイデンティティの一部になっている。そのため海のない地域に住んでいると海を懐かしく思うのだ。私のなかには私だけの海があって、それが絶えず海を求めている。
エッセイ

自分自身に苦しむときもある。認識のズレ、誤解されやすい性格。

自分自身の特徴に苦しむことがある。私は、自分に認識のズレがあるために、他人とうまく接するとこができない。しかも、その責任を自分に負わせても、問題を解決する能力が私にはない。もう苦悩を受け入れるしかないようだ。ゴッホが自分の個性を受け入れたように。