2021-05

エッセイ

考えない練習。執着が減り、客観的になる。

考えない練習をすることによって、考えそのものに対する執着は減退する。考えなければならないという強迫観念も、考えてはいけないという思い込みも減っていく。考えそのものはなくなることはなく、ただ自分の考えていることに対する客観性が生まれる。
エッセイ

カフェインをやめてみた。コーヒーなどとの距離感の保ち方。[体験談]

カフェインを断つことはけっこう辛い。離脱症状は長く続くこともあり、不安になったり、だるくなったりして、日々の生活にも支障が出る。そのためゆっくりとカフェインを断つ生活をしていくほうが良い。何事そうだが急激にやると体の負担が大きくなる。
小説

病院の学者 [短い小説]

食堂で田野瀬は、桑原さんと隣り合って座った。桑原さんはいつも分厚い本を持ち歩いている。この日も、彼はその本を食堂のテーブルの上で開き、読み始める。本のタイトルは「東方キリスト教の歴史」というものだった。桑原さんは自分が神学者といっていた。やがて浅川さんも食堂に入って来る。
エッセイ

自分を「無」にする散歩。考えることをやめてみる。

散歩をすると自分が無くなっていく。歩きながら、考えることを手放す。そうするだけで、ずいぶんと、生活にメリハリがついてくるものだ。起伏の多い精神のありかたも平板になっていく。詩人とは考えないものだ。私は詩人になりたい。詩人が見たように景色がみたい。
エッセイ

作家と専門性。乱読でなくひとりの作家に集中すること。

作家として長く活動していくには、専門性はあったほうが良い。やたらめったら乱読しては精神を荒廃させると言った作家もいた。誰かひとりの作家と決めて、その作家とながく作品の世界観を共有すること。それが教養となり生きる糧になる。
エッセイ

小説を書くのに必要なのは、連想力。

小説を書くには、ある場面から次の場面を生む連想力がなくてはならない。連想をすることは誰でも意識せずに行っているもので、特殊な能力というものではない。連想力を鍛えるには、普段から注意深くものを感じ、思考のペースを落とす必要がある。
エッセイ

芸術家は計算しない。スマホを置いて、自然に近づくこと。

芸術家は計算しない、とはリルケの言葉。私も文学をやっているのだけれど、計算ばかりしている自分が嫌になることがある。計算は、インターネットを使うことによって増えた。ひととの無益な関り。しかし、芸術をやるには泰然とているのがいい。スマホを置いて自然に向き合うこと。